瞬は仲間たちには何も告げずに日本を発つつもりだった。
沙織に それはよくないと言われた瞬が仲間たちに別れの言葉を告げる気になったのは、ハーデスが瞬を迎えに来る約束の時刻の わずか10分前。
ここまできてしまったら、たとえ仲間たちに引き止められても自分の決意を翻すことは不可能だと思えるようになってからだった。
瞬には、どうしても氷河に言っておきたいことがあった。

「僕は――今日ハーデスと日本を発つことになってる。僕は氷河の重荷にはなりたくない。氷河はもう兄さんのことは忘れて。氷河は自由になって。僕も自由になる」
氷河は、こうなることに薄々気付いていたのかもしれない。
ラウンジにいた星矢と紫龍は少なからず驚きの表情を浮かべたが、氷河は、覚悟を決めていたように僅かに口許を引き結んだだけだった。

長い沈黙のあとに、
「おまえが決めたことなら」
という短い言葉が瞬に贈られてくる。
「うん……」
頷いた拍子に、瞬の瞳の奥は急に熱を帯びた。
自分は本当は氷河が引き止めてくれることを期待していたのだと、瞬はその時初めて気付いたのである。
そして、氷河が仲間を引き止めてくれない事実が意味することにも。
氷河は やはり“瞬”という重荷から解放されたがっていたのだ――と。

「氷河、誤解しないでね。僕は氷河が好きだよ。恨んでもいない。氷河には兄さんの死に何の責任もない」
事実なのに、その事実を告げることが、これほどつらい。
つらいと感じる自分自身に、瞬は泣いてしまいそうだった。

「瞬には……この方がいいのかもしれないわね。瞬は昔から争いごとが嫌いだったし」
瞬と氷河をいたわるように、沙織がしんみりした声で言う。
瞬は、しかし、そんな彼女に首を大きく横に振ってみせた。
自分はそんな理由で氷河の側を離れるのではない――と、瞬は大声で叫びたかった。
瞬がかろうじてそうすることをせずに済んだのは、ちょうどその時、ハーデスの来訪を知らせにきたメイドが 部屋のドアを開けたからだった。
瞬は彼女の脇をすり抜けるようにして、ラウンジを飛び出した。






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