「一輝はそれで幸福だったと思うが」
それまで瞬には何も言わずにいた紫龍が、氷河と瞬の間に突然声を割り込ませてくる。
瞬は少し驚き、それから微かに首を横に振った。
そんなことがあるはずがない。
「僕はいつも兄さんの足手まといだった」
「おまえがいるから一輝は強くあろうと思うことができた。奴は自分を恵まれた男だと信じていたと、俺は思う」

紫龍は瞬を仲間たちの許に引きとめようとしている。
ならばそれは悪いことでも我儘でもないのだと自信を得て、星矢もまた瞬に訴えてきた。
「俺たちは、いつも一輝を羨んでたぜ。一輝に庇われてるおまえをじゃなくて、守るべきものを持っている一輝の方をだ」
「紫龍……星矢……。でも、僕は――」

もし二人の言が事実だったとしても、それは俗に“共依存”と呼ばれる生き方である。
瞬はそんな生き方を氷河に強いるようなことはしたくなかったし、できなかった。
氷河は兄とは違う。
氷河が瞬に感じているものは、肉親の情ではなく負い目なのだ。――おそらく。
瞬のそんな迷いを、だが、紫龍は否定した。

「人間は――自分のためだけに生きても、充足できない生き物だと思う。当然、ひとりだけでは生きていけないし、幸福にもなれない。おまえが誰かのために生きる。誰かに支えられて生きる。それのどこがいけないんだ」
「氷河がおまえのために生きて、おまえに支えられて生きるのだって、悪いことじゃないだろ。みんなそうだ。俺たち、これまでいつもそうやってきたじゃないか。だから今、こうして一緒に生きていられるんじゃないか」
「あ……」

ハーデスの言うことと紫龍たちの言うことは全く逆で、そのどちらも間違ったことではないように瞬には思えた。
それは、どちらが正しいのかを考えるべきことではないのだろう。
これは正否の問題ではなく、選択肢なのだ。
どちらを選べば幸福になれるか、どちらを選べば氷河が幸福になってくれるのか――を、“瞬”が選ぶべきことなのだ。

だから、瞬は氷河を見たのである。
氷河の幸福のありかは、氷河しか知らない。
「氷河……」
「俺は――」
瞬のことを思うと、氷河は彼を引き止めることに躊躇を覚えた。
ハーデスの言うように、自分たちは互いに負い目を感じ合っているのかもしれない。
それは瞬のために“良い”ことではないのかもしれない。
だとしたら、やはり瞬を引き止めることはできない。

それがわかっていたから、氷河が瞬に言うことができたのは、ここにとどまれという言葉ではなかった。
長い沈黙のあと、彼は、
「俺は……おまえがいないと寂しい」
とだけ、呟くように瞬に告げた。
それが氷河の心からの――負い目も、損得を考える気持ちもない、心からの――真実だった。

そして、瞬にはそれだけで十分だったのである。
「氷河……!」
瞬はその言葉を待っていたのだ。
その言葉だけを聞きたかった。
他には何も――言い訳も綺麗事も甘い言葉もいらない。
瞬は誰かのために生きたい人間だった。

「氷河が最初にそう言ってくれたら、僕、誰に何て言われようと、これから僕たちを待っているものが戦いだけの日々でも、氷河の側にいたのに!」
「瞬……」
必死に爪先立ち、臆病な仲間を抱きしめてくる瞬の身体を、氷河は――氷河もまた抱きしめた。

その願いを口にしていいのだと、氷河の背にまわされた瞬の細い腕が、氷河に知らせてくる。
「側にいてくれ」
氷河の願いに、瞬は、彼の胸の中で幾度も頷いていた。






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