「せっかくのお話でしたけれど、ご破算のようですね……」
沙織の中には、まだ少し迷いが残っていた。
瞬は戦いという行為に向いていない。
そのことは瞬の仲間たち同様、沙織もよく承知していた。
瞬が選んだのは、彼と共に生きる仲間であって、戦いではない。
これから始まる戦いの日々は瞬を傷付けるだけなのではないかと、彼女は懸念していた。
それでも、瞬が瞬の仲間たちと共に在ることを選んだ事実は、沙織にとっても救いではあったが。

「そのようだ。が、瞬がそれを望むなら、私にも無理強いはできない」
ハーデスはこうなることを見越していたように――自分の計画が成就の直前で頓挫したというのに――沙織と瞬の仲間たちと瞬に、にこやかな笑みを向けた。
「せっかく綺麗な花を持ち帰れると思っていたのだが――私はひとり孤独に手ぶらで帰ることにしましょう」

「ごめんなさい。せっかくのご厚意だったのに」
瞬が、さすがに自分の我儘を申し訳なく思い、ハーデスに深く頭を下げる。
「なに。私も君の幸せを願う者のひとりだから。私は君に会えただけで満足だ。とりあえずの目的は果たすことができた。私はまた、しばしの眠りに就くことにしよう」
「え?」
彼の言葉を怪訝に思った瞬が顔をあげた時、ハーデスの目は既にどこか別の場所に向けられていた。
瞬の上を素通りして どこか遠くを、それは見詰めていた。

氷河は――彼は、こうして瞬を失わずに済むことがわかった今になっても どうしても、ハーデスを好ましく感じることができずにいた。
だが、彼が引き際のいい男であるのは事実である。
自分から瞬を奪う男――という先入観が、ハーデスを見る自分の目を歪めていたのかもしれないと今更ながらに思い直し、氷河はこの潔い男に目礼をした。
その氷河にだけ聞こえるように、ハーデスが低く呟くように言う。

「だが、瞬はいつか余のものになる」
自信に満ちた彼の声音に弾かれるようにして氷河が目をあげた時、彼は既に客間のドアに向かって歩き出していた。
その、少しも落胆していないようなハーデスの後ろ姿に、氷河はなぜかぞっとしてしまったのである。
嫌な予感――闘いの予感よりも暗い予感が、ふいに氷河の心中に湧き起こってくる。
だが、彼の隣りには、そんな予感など一瞬で消し去ってしまうような瞬の笑顔があり、その温かさは氷河の心に安堵の気持ちを運んできた。

ともかく、瞬を失わずに済んだのだ。
氷河は、決して失いたくない人の肩を抱き寄せ、抱きしめ、その髪に唇を埋めた。






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