「星矢、どうしたの?」
2階からエントランスホールに下りるための階段の中腹に立つ瞬が、階下にいる星矢を見おろし、瞳を見開いている。

「どーしたもこーしたも……」
自身の大声の理由を瞬に説明しかけた星矢は、瞬の隣りに いつもの通りに氷河がいることに気付き、突然素晴らしい名案を思いついた。
腹の底の見えない怪しい男を、星矢は、氷河に追い払わせようと考えたのである。

「男が瞬をご指名で訪ねてきたんだ」
瞬ではなく氷河に向かって、星矢はその事実だけを告げた。
「男?」
説明になっていない星矢の説明を聞いた氷河が、ぴくりとこめかみを引きつらせる。
正面玄関の扉の前で、星矢の隣りに立っている“男”の上に一瞬視線を走らせると、氷河は瞬をその場に残し、大股に階段を下りてきた。
そして、星矢がしたよりも乱暴に――カロンの髪を掴んで、その顔を上向かせる。

「なんだ、これは?」
問題の“男”の顔の造作を確かめた途端に、氷河はあからさまに気の抜けた顔になった。
全身にみなぎらせていた緊張を緩め、その上で彼は、
「これが男?――人類の顔をしていないじゃないか」
という失礼千万な言葉を、当の本人に聞こえるほどの音量でもって吐き出したのである。

カロンがここで激怒したとしても、誰も彼を責めることはしなかっただろう。
実際彼は、目鼻立ちが普通よりちょっとシンメトリーなだけの無礼極まりない若造を殴り飛ばそうとした。
が、彼は結局そうすることができなかったのである。
氷河が上向かせた来訪者の顔を、階段の手擦り越しに確認することのできた瞬が、
「あ、アケローン河での……カロン――カロンさんじゃないですか !? 」
と弾んだ声でその名を呼び、声以上に弾んだ足取りで階段を駆け下りてきたせいで。

カロンは逆恨みの念に突き動かされて瞬の許にやってきたのではないか――という星矢の懸念は、どうやら杞憂だったらしい。
星矢や氷河のあまりといえばあまりな対応のあとだけに、瞬が(元)地獄の渡し守の名を記憶しており、嬉しそうに彼の許に駆け寄ってきたことは、カロンを大いに感動させたらしい。
彼はほとんど感涙直前の表情で、こくこくこくこくと幾度も瞬に頷いた。

「カロンだとよくわかったな。冥闘衣も着けてないのに」
星矢が尋ねるのに、瞬がにっこり笑って答える。
「うん。個性的な歯並びしてたから、印象に残ってたんだ」
「歯並び !? 」
瞬がどういう部分に着目して人の顔を覚えようと、無論、星矢に文句を言えた義理はない。
が、瞬の着眼点は、星矢にはどうしてもカロンを讃美するものではないように思えてならなかった。
「歯並び、ね……」

平生であれば、瞬に近付く男にはあからさまに敵意を剥き出しにする氷河も、どうやらカロンを人類と認めなかったらしく――つまりは、自分の恋敵になり得ないモノと判断したらしく――、瞬が自分以外の男に親しげに話しかけていく様を見ても、機嫌を悪くしたふうを(さほど)見せない。

氷河と瞬は、色々な意味で、無意識もしくは無邪気に、元地獄の渡し守を馬鹿にしている。
そう感じて、星矢は――正直カロンに同情した。






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