その時には確かに、瞬は心を安んじることができたのである。
氷河のどこか辻褄の合わない態度も言葉も、氷河の腕に納得させられた。
だが、それからも幾度か、氷河は無神経としか言いようのない言動を繰り返した。
二人の間にできたつながりを彼が本当に忘れているのではないとしたら、彼はその事実を忘れたがっているのだとしか思えないようなことを繰り返され、瞬はそのたびに言いようのない不安に囚われることになった。

近寄っていくと、すっと逃げる。
話しかけていくと、それとなく話題を逸らし、星矢たちを会話に引き入れ、二人だけの会話を避ける。
氷河のそんな態度は、だが、以前にはよくあったことだった。
初めて身体を重ねた時、氷河は、
「おまえが好きすぎて、臆病になっていたんだ」
と言っていた。
その一言で、瞬はそれまでの傷心にも似た困惑を忘れ、むしろ氷河のその思いがけない繊細さが愛しく感じられて、彼の髪に顔を埋めていったのである。

もしかしたら氷河は本当に、そして無自覚に、星矢が冗談混じりに言っていた記憶障害なのではないかと疑うことも、瞬はした。
しかし、氷河は憶えているのだ。
瞬とのやりとりの どんな些細なことも――時には瞬自身よりも、彼の記憶は鮮明だった。
まるで二人の関係をすべて忘れているような氷河の言動に、瞬が戸惑い 傷付き 沈んでいると、すぐに氷河がやってきて、瞬の耳に『愛している』と囁き、悪ふざけを謝罪してくる。
その時、氷河はすべてを記憶していた。

氷河にそうされるたびに、瞬は説得され納得した。
そして、だが、やがて瞬の“納得”は、“納得しようとする努力”に変化していったのである。






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