なぜそんなことを問われるのか――その理由を考えることもできないほど、瞬は混乱していた。
自分は何かを間違ったのだろうか――? “氷河”ともう一人の“氷河”の区別がつかないほど、自分の前に二人の氷河がいることに気付かないほど、自分は“氷河”という人間の形と名前に目を眩ませていたのだろうか――?
瞬には、わからなかった。

ただひとつ、瞬に確実に言えることは、自分は彼が言うように、『彼に口説かれて』彼を好きになったのではない――ということだった。
彼に積極的かつ巧みにアプローチされる前から、瞬は氷河が好きだった。
しかし、彼の積極性と手管と言っていいほどの手際の良さがなかったら、自分は不安に押しつぶされて、二人の仲はとっくに破綻していたのかもしれないとも思う。
否、それ以前に――“彼”がいなければ、二人は具体的な恋の行為にすら至っていなかっただろう。
あの気が遠くなるような陶酔の極みの一瞬を、彼がいなければ、瞬は今も知らないままだった。
その点は、彼も自負しているらしい。
彼は、瞬の唇をその唇でなぞりながら、誘うように瞬に告げた。

「俺の方が、あの臆病者よりずっとおまえを楽しませてやれる。優しくしてやれる。おまえの気持ちを気遣い、おまえが求めることに先回りして気付き、それをおまえに与えてやれる。あの臆病者より俺の方がずっと」
「……」
「もちろん、おまえを抱いたのはこの俺だ。これからもそうだ」
「僕は――」

“彼”に甘い言葉を囁かれる以前から、瞬は氷河が好きだった。
だが、実際に瞬が“彼”とそういう行為に及ぶ勇気を持つことができたのは、“彼”の積極性と言葉のせいではないとも言えない。
自分に“瞬”という存在がどれほど必要か、“瞬”が生きて存在すること・“瞬”に出会えたことに自分がどれほど感謝しているか、“瞬”にその気持ちを受け入れてもらえることで自分がどれほど幸福な人間になり得るのか――“彼”はそれらのことを、“氷河”とも思えないほど巧みな弁舌で瞬に訴えた。
そして瞬は、そんな彼を、『氷河ではない』と感じなかった。
その返事を待ちきれないように瞬を抱きしめてきた“氷河”の瞳の奥にある熱と輝きは、瞬の知っている氷河そのものだったから。

「おまえが好きなのは俺の方だと言え。そうしたら、必ず、俺がこの身体を支配してやる。あの臆病者を消滅させてみせる。あの馬鹿も素直に消えてくれるさ。俺にこの身体を明け渡せば、“氷河”はおまえに愛されている男になれるんだ。そして、おまえを愛することのできる男にもなる」

今、自分の目の前にいる男を、瞬は決して嫌いではなかった。
これこそが氷河だと思うほどに、彼は氷河そのものの目をしていた。
熱く切なく、何かを熱烈に恋い求める瞳。
“彼”がそれを有している限り、瞬は“彼”を氷河だと思うことができた。
そう思い続けるために――だから、瞬は“彼”に尋ねたのである。

「僕が好きなのは、僕が城戸邸に連れてこられた最初の日、これから何が起こるのかがわからなくて不安で泣いていた僕に、白い矢車菊の花を僕にくれた氷河だよ。兄さんが殺生谷で死んだって思われてた時、大切なロザリオを兄さんにくれた氷河。いつも無鉄砲で一生懸命で、そのくせ自分はクールだなんて思い込んでる氷河。あの氷河は誰だったの」
――と。






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