いずれ二人はそういう行為に及ぶだろうと確信している様子を、その言動に見え隠れさせる氷河に、瞬は嫌悪感を覚えたわけではなかった。 ただ、瞬自身はそれを求めて氷河を好きになったわけではなく、それを期待して氷河の告白に応えたわけでもなく――要するに、瞬は氷河との性的な交わりの可能性について一度も考えることのないまま、氷河の『好きだ』という言葉に同じ言葉で答えたのである。 『いつも氷河と一緒にいたい』 それが瞬の望みだったから。 問題の事実が氷河の知るところとなったのは、氷河が瞬に『好きだ』と告げてから3日後のことだった。 氷河はそれまで、一応の節度と一定の距離を、瞬との間に保っていた。 幼い頃からずっと胸中で育んできた思いは、氷河にとって非常に大切なものであり、日本で瞬との再会を果たしてから我慢し続けてきたものを手にする時が、今更何日か先に延びたところで、そんなことは彼にとっては大した問題ではなかったので。 『好きだ』と告げれば、『僕も』という答えが返ってきて、そのあとに二人で初々しいキスを交わす時期を、もうしばらく楽しんでいたいという気持ちも、氷河の中にはあった。 瞬は、キスが好きなようだった。 唇と唇が触れるだけのキスを交わしたあとの瞬の表情には、見るべきものがあった。 桜色に染まった頬、戸惑いの勝った羞恥を含んだ笑みと、幸福に耐え切れずに輝いているような瞳。 今時こんなものを手に入れられる男は、全世界となれば自信はないが、現代の日本では自分くらいのものだろうと、氷河は一人悦に入っていたのだ。 そして、運命の3日目。 その日、氷河は、一昨日も昨日も瞬に告げた言葉を瞬に告げ、瞬の肩を抱いて、その唇に自分の唇を重ねた。 瞬の唇に一通り戯れたあと、そのやわらかい唇の向こう側に、自らの舌を忍び込ませる。 途端に、氷河は瞬に胸を突き飛ばされていた。 瞬の肩を抱きしめていた氷河の腕がほどけるほど 強い力が加えられたわけではない。 だが、それは反射的に氷河を突き飛ばそうとした瞬の手が、その直前に理性によって制御されたために、結果的にそうなっただけのことだった。 そうであるように、氷河には感じられた。 瞬の判断力が発揮される時がもう一瞬遅れていたら、氷河はその場に尻餅をつくくらいのことはしていたかもしれない。 「瞬……?」 幸い、そういうみっともないことにはならずに済んだ氷河が、瞳を見開いて瞬を見おろす。 瞬は自分のしてしまったことに、氷河よりも驚いているような目をしていた。 そして、すぐにその目を伏せた。 「あ、ご……ごめんなさい……。昨日までと違うから、僕、びっくりして……」 「それはまあ――いつまでも可愛いばかりのキスもしていられないし」 「う……うん、そうだね。ごめんなさい。でも、びっくりしたんだ」 氷河は、瞬のそんな反応を 始めのうちは笑っていた――笑っていられた。 瞬がその種のことを未経験だということは、氷河には喜ばしいことだったのだ。 その事実は、氷河が瞬の心身の過去に嫉妬せずに済むことを保証してくれるものだった。 瞬は、その唇も身体も心も、他の誰かに委ねたことはないのだ――と。 その上、氷河は、いずれは瞬も 二人の間にある感情がその力になってくれるに違いないと信じていられるだけの根拠と自信が、氷河には与えられていたのだ。 他の誰でもない、瞬によって。 実際、その翌日から、瞬はそういうキスをされても、氷河を突き飛ばすことはしなくなった。 とはいえ瞬は、そういうキスを二度三度と繰り返しても一向に慣れる様子を見せず、氷河の舌が自分の口腔に忍び込むたびに、まるで小さな炎に触れでもしたかのように身をすくめることは続けた。 そして瞬は、その時以降、キスのあとの、春の花がほのかに色づくような あの表情を、氷河に見せてくれなくなったのである。 それが、氷河は残念でならなかった。 同時に、彼は憂慮した。 “子供”の域を僅かに出ただけのキス一つに これほど身構えられていたら、その先に進むことは更に困難なことになるに違いないのだ。 「この上、俺がおまえを抱きたいなんて言い出したら、おまえはいったい――」 『どんな子供じみた反応を示すのか』と、苦笑を浮かべながら言いかけて、氷河は自身の言葉を途切らせた。 瞬が泣きそうな顔をして、彼の“恋人”を見詰めている。 それで、氷河は悟ったのである。 瞬は、二人が交わすキスに怯えている。 そして、そのキスの先にあるものを怖れている――ということに。 氷河は続く言葉を見付けられずに口をつぐみ、そんな氷河を見て、瞬は身の置きどころをなくしたように、身体を縮こまらせた。 |