氷河が城戸邸の玄関に飛び込んだ時、瞬は、エントランスホールと、青銅聖闘士たちの私室がある2階を繋ぐ階段のいちばん下の段に、膝を抱え、しゃがみ込むようにして座っていた。
「瞬っ!」
慌てて、氷河が、その側に駆け寄る。
氷河の声に反応し、瞬はひどく緩慢な動作で、その顔をあげた。
氷河の姿を映した瞬の瞳からは涙がぽろぽろと零れ落ち、それは瞬の両腕に抱え込まれていた彼の膝を濡らすことになった。
その様を見て一気に頬から血の気が引いた氷河に、瞬が、聞き取るのがやっとの小さな声で、
「約束の時間に氷河がいないんだもの……」
と呟く。

ちょうど氷河に数分遅れて城戸邸のエントランスホールに入ってきた星矢と紫龍は、そこで思いがけない光景を見ることになったのである。
すなわち、瞬の前に片膝をつき、瞬の頬の涙を指で拭いつつ、どう見ても慌てふためいた様子で瞬に門限破りの弁解をしている氷河の姿を。
「ああ、すまん。悪かった。沙織さんの用で、どうしても――」
「10時には毎日僕の側にいるって約束したくせに」
「わ……悪かった。泣かないでくれ」
「氷河は僕との約束破って平気なの」
「すまん。何でもするから許してくれ!」

瞬がもし、
「氷河なんか知らない!」
と言って立ち上がり、階段を駆け上がって、2階の部屋――氷河の部屋だったが――に閉じこもってしまわなければ、氷河はその場で瞬に土下座するくらいのことはしていたかもしれない。
それほどに氷河は――星矢が、横暴な専制君主だと思い、傲慢な暴君だと思っていた氷河は――情けない様相を呈していた。

予想していた展開とは全く違うこの展開に、星矢たちが疑念を抱くことになったのは当然のことである。
瞬に締め出しを食った自室の前で呆然としている氷河に、星矢は首をかしげつつ尋ねることになった。
「なあ、どういうことだよ? 何でおまえが門限に遅れて瞬に平謝りなんだ? おまえが決めた門限をおまえが破ったって、瞬が腹を立てる筋合いはないだろ?」
星矢の疑問に対して 氷河から返ってきた答えは、
「貴様は何を言っているんだ? 午後10時の門限を決めたのは、俺じゃなく瞬だぞ。10時には必ず、二人が城戸邸にいること」
――というもの。

「二人が城戸邸に……?」
初めて聞く“門限”の正確な内容に、紫龍が微かに眉根を寄せる。
星矢は既に、理解不能の顔になっていた。
「瞬が決めた……って、そのわりに瞬に厳しく当たってたのはおまえの方だったじゃないか」
「瞬が決めたことだぞ。本気で門限厳守しようとしているところを示しておかないと、瞬が機嫌を悪くするじゃないか。俺は惚れた弱みで瞬には頭があがらないし――」

氷河の主張は、星矢たちが認知していた状況と全く噛み合っていなかった。
星矢の混乱は頂点に達しつつあったが、そんな星矢にも理解できることが 一つだけあった。
それは、ここで氷河が仲間に嘘をついても彼には何の得もない――ということである。
瞬の尻に敷かれていることを公然と認めることは、氷河のようなタイプの男には屈辱でしかないはずだった。






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