「ふん、野蛮人共めが。こんな者たちに宮廷の警護を任せなければならないとは、ローマも堕ちたものだな」
故国の言葉で声をひそめることもなく噂話に興じていたガリア兵たちの職務怠慢が気に障ったのか、突然彼等に向かって悪罵してきた者がいた。
それは、己れの妻を皇帝に差し出し、その代償としてに執政官の地位を得た男だった――つまり、現在 皇帝の隣りで淫らな宴を楽しんでいる女の正式な夫である。
そういったやり方はローマではありふれたことだったが、当然のことながら、そういう手段で地位を得るような男がガリア人に尊敬されるわけがない。
彼は、ガリア人たちの軽蔑の対象となっていた。
彼が、男のくせに女のような白塗りの顔をしていることも、ガリア兵たちの嘲笑の種だった。

が、ともかく彼は帝国の執政官である。
ガリア兵たちに限らず、帝国内の大抵の者に命令を下す権利を、彼は有していた。
「ここから出ていけ! 皇帝主催の宴に野蛮人の姿があるのは目障りだ。ローマ人の兵を配備しろ! 見苦しい野蛮人たちが皇帝のいる場所に出入りできることが、そもそもおかしいのだ!」
ローマ人の兵――そんな者はここにはいない。
皇帝におべんちゃらを言うことを生業なりわいとしている形ばかりの近衛隊はあったが、それは まともに警備の仕事を行なえる男たちで形成されてはいなかった。
己れの肉体や武器を使って戦うことのできるローマ人たちは皆、ローマの都を離れ、遠い異国の地で故国のために戦っているのだ。

が、そんなことは、ガリア人たちの知ったことではない。
もちろん彼等は、執政官の命令を有難く聞き入れて、警護する価値もない場所から勇んで立ち去ろうとしたのである。
しかし、あいにく彼等は、執政官の命令を実行に移すことができなかった。
突然、広間の片隅から響いてきた声が、彼等をその場に引きとめたのだ。
「その言葉は不当でしょう。カエサルの昔ならいざ知らず、今はガリアの方々はローマの同胞です。彼等の力がなくては、このローマの秩序は保たれないことは、誰もが認めていることではありませんか」

皇帝に次ぐ権力を有している執政官に臆した様子も見せずに そう言い放ったのは――小さな子供だった。
ローマ人に比べると一まわりも二まわりも身体の大きいガリア人たちの目には、そう映った。
子供はどう見ても、執政官の半分も年齢を重ねていない。
10代の半ばを過ぎたか過ぎないかの、青いトーガの少年。
それが、噂の新アフリカ総督の弟だった。
やわらかい口調だが涼やかに響くその声は、声変わりもしていないのではないかと疑わずにいられないような不思議な音で織りあげられている。
少年の姿に、ガリア兵の多くが、故郷の野に咲く白百合の風情を重ね見ることになった。

退廃の色の片鱗も その身に備えていない少年の、腐敗しきった都では稀有な姿もさることながら、 “野蛮人”の肩を持つローマの貴族の登場に、ガリアの兵たちは目をみはったのである。
なにしろ彼等は、野蛮人と呼ばれることに慣れていた。
彼等はむしろ、ローマ人ではなく野蛮人であることを誇りに思ってさえいたのだ。
故国をローマに蹂躙され、その支配に屈していることの屈辱に、そうとでも思わなければ自分たちは耐えることができなかっただけなのだと、ガリア兵たちはその少年の言葉によって初めて自覚した。
軽蔑されているから軽蔑し返すことで自らの誇りを守ろうとしていた己れの心を、ガリアを同胞と呼ぶローマ貴族の出現で、彼等は思い知らされてしまったのである。
その事実に気付かされること、その事実を認めざるを得ないことは、彼等には、いっそ すがすがしい衝撃だった。

「次期皇帝の噂も高い総督閣下の弟君は、さすがに慧眼をお持ちですな。ガリアの兵の機嫌をとって味方につけておけば、皇帝陛下を倒す際の よすがにもなろうというもの」
ガリア兵たちの感動が、執政官の皮肉によって遮られる。
「僕はそんなつもりで言ったのではありません」
執政官の言葉を皮肉と気付いているのかいないのか――少年が、躊躇も困惑も見せずに、執政官の言を否定する。

女のような化粧をした執政官は、一瞬むっとしたような顔になった。
だが、少年の言葉はきっぱりとした断言であったのに、その声音が――物腰も――ひどくやわらかかったので、執政官はそれ以上彼に反発する気になれなかったらしい。
あるいは、何を言っても自分がその子供に勝てないだろうことを、直感で感じとったらしい。
この騒ぎが皇帝の耳に届くことを恐れたせいもあったのだろう。彼は、それ以上は何も言わずに、そそくさと自堕落な饗宴の只中に紛れ込んでいってしまったのである。

「あれがアフリカ総督の秘蔵の弟? 俺たちの価値が皇帝や執政官よりもわかってるじゃないか。なあ」
「……あ? ああ、そうだな」
心が晴れたような顔をした部下に そう声をかけられて、ガリア軍の若い隊長は、はっと我にかえり、同胞に頷いた。
その瞬間まで、彼の視線は、いささかのためらいもなく“野蛮人”を同胞と呼んでくれた華奢な子供の上に釘付けになっていたのである。
ガリアの野に咲く白百合の姿をした少年は、供の老人と二言三言語らうと、やがて馬鹿騒ぎの場から姿を消してしまった。






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