その日、コロッセオで珍しく詩の競演会が開催されるというので、シュンはヒョウガを伴って館を出、その帰途、市外を外れた場所で三人組の暴漢に襲われた。 こういうことにすっかり慣れてしまっていたヒョウガは、それらの者たちの剣を難なく叩き落し、暴漢たちはすぐに ごみごみした市内の雑踏の中に逃げ去った。 彼等はあきれるほど己れの仕事に不熱心な暗殺者たちで、ヒョウガはこれまでにも4、5回に1度は、この手の暴漢たちの相手を務めていた。 「脅しが目的だったようだな。殺す気はないようだった」 「なら、彼等は皇帝の手の者だったんでしょう」 「どういうことだ?」 シュンがヒョウガにそんなことを言ったのは、それが初めてだったし、ヒョウガがシュンに暗殺者たちの正体を尋ねたのも、これが初めてだった。 シュンの兄の政治的軍事的台頭に危機感を抱いている者たちが、総督の親族の命を狙っているのだろうと、それはヒョウガも察していた。 が、今が楽しければそれでいいというかのように刹那的・享楽的なあの皇帝が、シュンの身に危害を加えようとしている可能性を、ヒョウガはこれまで考えたことがなかったのである。 シュンが嘆息のように語ったところによると、シュンを狙う勢力は3つあるということだった。 1つはヒョウガの推察通り、シュンというよりシュンの兄への牽制を目的とする皇帝の周囲の権力者たち。 現皇帝の周囲で甘い汁を吸っている者たちは、支配者が変わることを快く思っていない。 もう1つは、皇帝の寵愛が他に移ることを阻止しようとしている現在の皇帝の愛妾の手の者。 3つめが、シュン自身を我が物にしようとしているローマ皇帝その人。 皇帝だけは、シュンの命が目的ではないので、他の二者とは趣の違う刺客(?)を送ってくるのだそうだった。 「執政官たちは、僕を殺すことが、兄への警告になると思ってるんでしょう。僕は逆効果だと思うんだけどね。皇帝にしても、その目的は、結局は僕個人というより、人望ある総督の弟を意のままにすることで、歪んだ優越感を満たそうとしているだけなんだと思う。館に蠍や毒蜘蛛を放つのは女性の好むやり方だと、僕は思ってる。剣で貫かれるより苦しむことになりそうだけど、彼女は血は嫌いらしいんだ」 話を聞いているだけで、ヒョウガはうんざりしてきたのである。 それが自分の主人に――シュンに――関わることでなかったら、ヒョウガはローマ人の誰が誰の手にかかって命を落とそうと、勝手にしろと思っていたことだろう。 ローマは陰謀と欲望だけで出来ている町なのかと、ヒョウガは思い切り舌打ちをすることになったのである。 ヒョウガのその様子を見て苦笑しかけたシュンは、ヒョウガの腕に赤い線が描かれていることに気付いて、さっと頬を青ざめさせた。 「今の人たちに !? だ……大丈夫なのっ」 「ん? ああ、気付かなかった。かすり傷だ」 「ごめんね。いつもいつも。僕、爺の言う通り、外に出ない方がいいのかもしれない」 「どこにいても、危険なのは同じだ」 それならば好きなことをしていた方がいいと、ヒョウガが言外に告げる。 シュンも、実は、標的は動いていた方が より安全だろうと考えて外出を続けていたのだが、いざこうしてヒョウガが傷付けられた様を見ると――ヒョウガ当人は蚊に刺されたほどの痛みも感じていないようだったが――自分の行動ははたして正しいのかと、シュンは今更ながらに迷いを覚えずにはいられなかった。 「彼等が本当に皇帝の手の者たちだったなら、剣に毒は塗られていないはずだと思うけど――」 刺客が投げ捨てていった剣にちらりと視線を落とし、シュンはためらうことなくヒョウガの腕に唇を押し当てた。 万一 剣に毒が塗られていた時のために、毒を吸い出そうとする――それはシュンにしてみれば、至極自然な行為だったのだが、シュンはそうした途端にヒョウガに乱暴に肩を押しのけられていたのである。 「ヒョウガ……?」 「ど……奴隷にそんなことをするな!」 「……」 人の命に関わることで自由民も奴隷もないだろうと、シュンは思った。 思った事柄を、だが、シュンは言葉にすることができなかった。 ヒョウガの拒絶の真意は他のところにあるような気がして――それが何なのかはわからなかったが、シュンは大人しく彼の側から身を引いたのである。 ひどく、気まずい空気を感じながら。 「ごめんなさい……」 「――いや」 ヒョウガとシュンは、互いに互いを傷付いたような目で見詰め、そして、その目を逸らした。 ヒョウガがシュンの上から逸らした視線の先に、皇帝の刺客の残していった剣が落ちている。 それを拾い上げて、ヒョウガは目をみはった。 |