自意識が発達し、自分自身と他人を比べて劣等感や羨望といった感情を覚えるはずの思春期に世間から隔絶されたものですから、瞬王子はそういう感情を全く知りませんでした。
もし瞬王子が高い塔に閉じ込められていなかったら、美しさはともかく、自分は兄君ほど男らしくないとか、他の同年代の少年たちに比べると かなり世間知らずだとか、色々な劣等感をその身の内に養っていたことでしょう。
けれど、瞬王子は、最も人の目が気になり気にする時期に ほとんど人の目にさらされることがなかったので、第三者による評価というものと ほぼ無縁でした。
第三者の視点を考え想像する機会が少ない環境は、他人の嫉妬や劣等感といった感情を想像できない人間を作ります。

それがいいことなのか悪いことなのかは さておくとして、そういう環境が、瞬王子を純真で純粋で素直な王子様にしたことは事実です。
純真で純粋で素直な瞬王子は、同時に、恋も 同年代の少年との友情も知らない寂しい王子様でした。
思春期以前には多くの人と接する機会に恵まれ、しかも大抵の場合は好意をもって受け入れられていただけに、その記憶があるだけに、瞬王子には現在の孤独がつらいものだったのです。

そんなある日、瞬王子が閉じ込められている高い塔の窓に、一羽の白鳥が舞いおりてきました。
もちろんそれは、高い塔に閉じ込められている美しい王子様の噂を聞いて、見物にやってきた氷河王子でした。
瞬王子は、初めて見る純白の美しい鳥に大層驚いたのです。
大きな白い鳥は、物怖じした様子もなく瞬王子が閉じ込められている部屋に入り込むと、我が物顔で室内を闊歩し始めたのですが、その傍若無人に驚きつつも、瞬王子は久し振りのお客様に有頂天。
「なんて綺麗!」
最初のうちは、お客様を驚かせないように用心深く、羽やくちばしにそっと触れているだけだったのですが、鳥が一向に逃げ出す素振りを見せないので 次第に大胆になり、その美しい鳥に頬擦りしたり抱きしめてみたり。
瞬王子は、白鳥の氷河王子にすっかり夢中になってしまったのです。

ところで、氷河王子は、本当は他人にべたべた触られるのは大嫌いでした。
ですが、その氷河王子も、美の女神と争うほど美しい瞬王子に抱きしめられたり、撫でられたりして、悪い気のするはずがありません。
その上、瞬王子の愛撫は優しく心地良く、なかなかに刺激的でした。
氷河王子は気を良くして、つい塔の部屋に長居をしてしまったのです。

時間が経てば、太陽は西に傾き、やがて日が暮れるのは自然の摂理。
日が暮れれば、氷河王子の呪いが一時的に解ける夜がやってきます。
人間に戻った氷河王子は、もちろん素裸でした。
瞬王子はびっくり仰天。
誰だってびっくりするでしょう。
たった今まで美しい鳥だと信じて抱きしめていたものが、その腕の中で突然裸の男に変わってしまったら。
瞬王子は、氷河王子の変身に気付くと、声も出ないくらいに驚きました。
そして、氷河王子を抱きしめていた腕をすぐに ほどきました。

瞬王子の腕の中でとてもいい気分でいた氷河王子は、自分の身体を包んでいた温かさとやわらかさが離れていってしまったことを、とても残念に思ったのです。
でも、すぐに、「それもまあ仕方ないか」と思い直し、伸びをするようにその場に立ち上がりました。

「あ……あの、あの……」
氷河王子は自分の正体を知っていましたから、白鳥が裸の男に変わったことに驚いたりはしませんでしたが、瞬王子はそうはいきません。
ついでにいえば、瞬王子は、自分以外の人間の裸体というものを見たことがありませんでした。
白鳥の姿が消えた場所に現れたものが 美しい金髪の人間だということはわかったのですが、その人間がどういう理由でこの場に出現したのかということはもちろん、その人間がどういう者なのかもわからなかったのです。

「あの……あなたは女のひと……ですか?」
瞬王子は、衣服も着けていないのに人前で堂々としている氷河王子に、恐る恐る尋ねてみました。
本来の姿に戻ることができて、ある種の開放感に浸っていた氷河王子は、瞬王子のその言葉に大激怒。
「俺のどこが女だとっ !? この立派なものが見えないのかっ!」
「あ……ごめんなさい」

瞬王子は氷河王子の剣幕に慌てて、ほとんど反射的に――つまりは、自分にどんな非があったのかは理解できないまま――氷河王子に謝罪しました。
それから、氷河王子が指し示したものをちらっと見て、なぜか見てはいけないようなものを見てしまった気分になり、すぐに顔を伏せました。
実は、瞬王子は、男性と女性の身体の違いをよく知らなかったのです。
氷河王子の身体の中心には 瞬王子とは微妙に様子の違うものがあって、自分と違うのだから氷河王子は女の人なのだろうと、瞬王子は早とちりしてしまったのです。
でも、そうではないようでした。

塔の部屋の床に敷かれた 羊の皮でできた厚手の絨毯の上に座り込み、伏せた視線をどこに向ければいいのか迷っている瞬王子の様子を見て、氷河王子はなぜだか とても愉快な気持ちになってしまったのです。
男と女の違いも知らないような初心うぶな王子様。
そんな珍しいものには滅多に会えるものではありません。
その上、その王子様が花のように可憐な風情をしているとあっては、氷河王子も なかなか機嫌を損ねたままではいられなかったのです。

「ああ、いや。俺の方こそ驚かせてすまなかった。鳥が急に人間に変わったんだからな。動転しないわけがない」
氷河王子は瞬王子の非礼をすぐに許し、他人には滅多に見せない笑顔を瞬王子のために作りました。
氷河王子は 美の女神と争うような種類の美しさは持っていませんでしたが、それとは違う種類の――たとえば太陽神や伝令神といった青年神と争う種類の――美貌は持っていました。
瞬王子は、生まれて初めて他人の笑顔にみとれるという経験をしたのです。






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