瞬王子の国のお城の門前で、氷河王子が、いっそ剣を振るって城内に切り込んで行こうかとまで考え始めていた頃、氷河王子ほどではないにしろ、大層苛立っている者がいました。 それは、他でもない、瞬王子に呪いをかけた美の女神その人です。 恋もしていないのに瞬王子に死なれてしまっては、神の呪いが成就しなかったことになってしまいます。 それは、神の呪いが人間に破られたということ、神が人間に負けたということ。 神の沽券に関わる重大事なのです。 ここ数日、神殿で事態の進展を見守っていた美の女神は、いよいよ瞬王子の命が尽きかけていることを知ると、ついに業を煮やして、瞬王子が運び込まれた城内の寝室に神の力で飛んでいきました。 突然現われた美の女神に、瞬王子の枕元についていた瞬王子の兄君や医師や貴族・召使いたちはびっくり仰天。 美の女神は、けれど、人間たちの慌てふためく様には目もくれず、病床の瞬王子に向かって情け容赦なく問い質したのです。 「そなたは恋で死ぬのではないのか? これ、姫、答えよ。おまえの好いた男はどこじゃ」 美の女神は、まだ瞬王子を姫君だと思い込んでいるようでした。 瞬王子はなにしろ幼い頃から花のように可憐な様子をしていましたから、美の女神は瞬王子が男子である可能性など考えたこともなかったのです。 今も、病床の瞬王子は、病でやつれてはいましたが十分に可愛らしく、その上、恋を知り その恋を失った者特有の悲しい美しさを備えていました。 美の女神の問いかけを、それが誰の言葉なのかにも気付かぬまま、瞬王子はとても嬉しく思ったのです。 もうすぐ死んでしまうのだろう自分が、最期に大切な人の名を口にできる――。 その機会を与えてくれた人に、瞬王子は心から感謝しました。 そして、その大切な人の名前を口にしたのです。 「氷河……」 「それが、そなたの恋人の名か?」 美の女神は、瞬の口から人の名が出てきたことに安堵して、その胸をなでおろしました。 この思いあがった姫はやはり恋のために死ぬのだと知って、安心したのです。 そして、美の女神は、最期の情けで、瞬王子の恋人をこの場に呼んでやることにしました。 「氷河とやら、ここに参れ」 途端に、それまで城の門前で剣を抜きかけていた氷河王子が、瞬王子の病室に現われます。 自分の身に何が起こったのか、氷河王子には全く理解できていませんでしたが、自分の目の前にあるベッドに横たわっているのが愛しい瞬王子だということには、氷河王子もすぐに気付きました。 「瞬……っ!」 氷河王子は、瞬王子を見守っていた瞬王子の兄君や医師や、女神すらも押しのけて、瞬王子の枕元に飛びつきました。 懐かしい人の声に、それまで力無く伏せられていた瞬王子の瞼がゆっくりと開かれます。 「ひょうが……ぶじ……?」 「すまんっ。真実の恋を手に入れたせいで、俺の呪いが解けて、白鳥になれなくなってしまったんだ」 「あ……あ!」 「死ぬんじゃない。俺はおまえを愛している。おまえが死ぬ理由など何もない。俺は生きている」 自分の瞳と胸を熱くする涙が喜びの涙なのか悲しみの涙なのか、瞬王子にはすぐにはわかりませんでした。 けれど、その涙ごしに氷河王子の青い瞳を見詰めているうちに、瞬王子にはすべてがわかってきたのです。 「これはやっぱり恋なの。恋ならどうして氷河は生きてるの。どうして僕はこんなに幸せなの……」 自分に恋されてしまったせいで氷河王子は死んでしまったのだと、瞬王子は今まで思い込んでいました。 自分が氷河王子を殺してしまったのだと信じてしまっていたのです。 ですから、絶望のあまり我が身が衰弱していくことを、瞬王子は喜んでさえいました。 これで自分は氷河王子の許に行くことができるのだと思って。 けれど、氷河王子は生きていてくれた。 もしこのまま ここで自分が死んでしまっても、生きている氷河王子にはこれから幸福が訪れることがあるかもしれません。 大切な人を自分のせいで不幸にせずに済んだ――。 瞬王子は、それがとても嬉しかったのです。 美の女神は、やはりその呪いを成就させることはできませんでした。 誰が瞬王子の不幸を願おうと、瞬王子を不幸にすべく画策しようと、瞬王子が幸福なのか不幸なのかを決めるのは、瞬王子自身なのです。 それを決めるのは、瞬王子にしかできないことなのです。 そして、瞬王子は今、誰よりも幸福でした。 そこに美の女神がいることも知らず、瞬王子は虚空に向かって呟きました。 「女神様、ありがとうございます。女神様が僕に呪いをかけてくれたおかげで、僕は氷河に会えた。幸せになれた。ありがとう……」 |