「シュン、おまえ、ヒョウガのことをどう思う?」
「え?」
城の高台から見える海は、今日も凪いでいる。
ヒョウガの仲間に突然そんなことを問われて、シュンは戸惑った。
なぜそんなことを問われるのかを 理解しかねたからではない。
シュン自身がその答えを探している時に、そして 答えに辿り着けずにいる時に それを問われ、シュンは返答に窮したのである。
もっともシリュウは、シュンから答えが返ってくるのを待たずに、さっさと話を先に進めていってしまったのだが。

「綺麗な男だろう? まあ、ギリシャでは三本の指に入るほどの美形だろう。あとの二人が誰なのかは俺も知らないが」
「そ……そうですね」
「毛並みもいい。妾腹だがトラキアの王子だ。少々無愛想だが頭も悪くはないし、身体の方も鍛えてある。アテナの聖闘士なんだから、当然のことではあるが」
「あの……お友だちを自慢しにいらしたの?」
シリュウがそんなことを語る意図を量りかねて、シュンは彼を上目使いに見上げた。
トロイのヘレンの再来と噂されている者がヒョウガのことをどう思っているのか――。
ヒョウガの仲間がそれを確かめに来たのなら、その目的は『これ以上アテナの聖闘士をおかしなことに巻き込むな』と釘を刺すために違いないと、シュンは思っていたのだ。

「自慢というより、ヒョウガを君に売り込みに来たんだ。――そのギリシャでも指折りの美形が、君に身も世もなく恋い焦がれている。その焦がれようといったら、奴の心臓の上に鳥をとまらせたら、即座に丸焼きができそうな勢いでな。その姿があまりに哀れで無様なものだから、友として放っておけなくなった」
「あ……の……」
だが、もしかしたらヒョウガの仲間の目的は、自分の推察とは真逆なのだろうか――?
シリュウの言葉を聞いて、シュンはますます彼の真意をみかねることになったのである。

「ヒョウガも嘘はつきたくないだろうから、本当のことを言う。俺たちはアテナの命を受けて、君を探りに来た。これはただの恋の鞘当てなのか、あるいは君の背後にはアテナに対立する勢力があるのではないか――と、まあ、そのあたりを確かめるために」
「ええ……そうだろうと思っていました」
「だが、先日 君に命を救われたせいもあって、ヒョウガはすっかり君にイカレてしまった。君が毎晩老師に抱かれていると考えるだけで嫉妬に身を焼かれるらしく、最近では老師を殺してやると口走っているほどだ」
「そ……そんな! 陛下は、僕に指一本だって触れていません!」

話の内容が、自分の想像を超えた方向に飛んでいくことに、シュンは混乱し始めていた。
イタケの王の身を守り、我が身の純潔を訴えるためというよりは、ヒョウガに無意味な罪を犯させないために、シュンはそう叫んでいた。
シリュウが、わざとシュンの訴えを信じていない振りをして、言葉を継ぐ。
「老師を片付けた後は他の黄金聖闘士たちだな。一対一で油断しているところを突けば、黄金聖闘士といえど殺るのは簡単だと、ヒョウガはほざいている」
「あの方々も名誉を重んじる方々です。皆さん 自信家だから、いつかは僕の方から なびいていくものと信じてらっしゃるんです。そんな無体なことはしません。僕は、これまで誰とも共寝なんかしたことはない!」
「その身は清らかなままだと言っても、嫉妬に狂ったヒョウガは信じまい」
「でも、本当にそうなんだもの!」

シュンの瞳には涙がにじんでいる。
シュンはどう見ても、人に熱狂的に愛され 彼等を振り回すことに快感を覚えるタイプの人間ではない。
その事実に満足し、シリュウはシュンにはわからないように微かに頷いた。
「まあ、ともかく、ヒョウガが君に恋い焦がれていることだけは覚えていてくれ。実母を亡くしてから、奴がこんなに人間に執着するのは初めてのことだ。君に振られたら、奴は絶望して世をはかなみかねない。冷たくはしないでやってくれ」
「あの……ほんとにヒョウガが、ぼ……僕なんかを、あの……」

ヒョウガの仲間にそこまで言われても、シュンはその事実を事実と信じることができずにいるらしい。
心許なげに、瞬きと顔を伏せることを繰り返すシュンを、シリュウは不思議なものを見る思いで見おろすことになった。
この少年は、自分がヒョウガより はるかに高い地位にある者たちを手玉にとっていることに、何の価値も見い出していない。
だが、自分がヒョウガに思われているかもしれないということは、とてつもない重大事なのだ。
なるほど、人間の価値観というものは様々である。

「僕……は、ほんとにただの平民で、地位も財産も特別な才があるわけでもないの。何も持ってないの」
「心があるだろう。そして、その中にヒョウガへの愛がある――んだろう?」
「そ……それしかないの……!」
それしかないという事実が、あまりにも明白な答えに自分を至らせてくれなかったのだと、この時、シュンは初めて気付いた。

『シュン、おまえ、ヒョウガのことをどう思う?』
特別に好きだと認めれば、それと同時に、自分が何も持たない無力な無一物だという事実を、シュンは嫌でも思い知らないわけにはいかないのだ。

「ヒョウガには、それで十分だ。地位だの財力だの、そういう余計なものは全部 奴が持っている。あるいは、これから手に入れる。大丈夫だ」
「でも……」
愛されている者の傲慢ではなく、恋する者の卑屈に囚われてしまっているらしいシュンに、シリュウは奇妙な愉快を覚えていた。
黄金聖闘士たちにとっては命取りの少年オム・ファタルだったシュン。
そのシュンがヒョウガに恋をした途端、今度は自分が命取りの男オム・ファタルに翻弄されることになってしまっている。
それは、恋する者たちにとっては ごく自然な現象ではあるのだろうが、その自然な連鎖のありようが、シリュウは面白くてならなかった。

「そんなものは誰でも手に入れられるものだ。が、人には才覚や努力だけでは手に入れられないものがあるだろう。愛情というのは、その最たるものだ。ヒョウガは愛に飢えているんだ。愛することにも愛されることにも飢えている。そして、奴は器用な男じゃない。君が言っていた通り、奴はたった一人の相手にしか、それを求められない。その上、奴の飢えは桁違いで、しかも貪欲だ。奴は広大な砂漠のようなものなんだ。君くらいじゃないと、ヒョウガの相手はできない。ヒョウガが砂漠なら、君は海だろう?」

「でもヒョウガは……迷惑なんじゃないでしょうか。僕、自分でも自分がよくわからないの。僕はどうしてこんなにヒョウガが――僕、ヒョウガのためならどんなことでもしてあげたい……そうしたくてたまらないの……」
「君の相手ができるのもヒョウガくらいのものだと思うぞ。奴は限度を知らない」
ヒョウガの仲間の無責任かつ確信に満ちた激励を、シュンはほとんど夢見心地で聞いていた。






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