それでなくても、それは自然な行為ではない。 当然、瞬は緊張していた。 羞恥心などという可愛らしい感覚を覚えることもできないほどに不安で、また恐れてもいた。 それでも氷河のためになら、自分はどんな障害も克服できるはずだ――。 そう信じて、否、そう自分に言い聞かせて、瞬は氷河の求めに応じたのである。 心臓は異様な速さと強さで脈打ち、まともな思考を形作ることはできず、四肢は緊張して自分の思う通りに動かすこともできない。 氷河の待つ部屋に足を踏み入れ、そこに部屋の主の姿を見い出した時には、見慣れたはずの氷河の顔が見知らぬ男のそれに見えた。 瞬は、そこにいるのが氷河だということを確かめるために、ドアの前で幾度も瞬きをしたのである。 (氷河に嫌われるようなことにだけはなりませんように。そんなことにだけはなりませんように) 瞬は、呪文のように、その言葉だけを胸中で繰り返していた。 めくるめく陶酔や快美な心の充足、自身の肉体的苦楽すら、瞬にはこの際どうでもいいことだった。 瞬はひたすら、氷河が明日も自分を好きなままでいてくれるようにと、それだけを願い、また 祈っていたのである。 「何をぽけっと突っ立ってるんだ?」 氷河に言われて はっと我にかえった瞬は、 瞬の歩みは、それまで床を這うことしかできなかった幼児が初めて立ち上がった時のそれに似ていたかもしれない。 数歩進んだところで足をもつれさせ、その結果、瞬は氷河の胸に倒れ込むことになってしまった。 瞬の身体など軽く受けとめられるはずの氷河が、わざと瞬の身体に押されて倒れ、彼の胸の上にいる瞬を抱きしめる。 「最初から脱兎のごとくの勢いだな。そんなに焦ることもないだろう。俺も夜も逃げたりしない。おまえ、そんなに好きなのか」 「え?」 「初めてじゃないんだろう?」 当たり前のことのように氷河にそう言われて、瞬はひどく慌てることになったのである。 瞬が不安のために緊張していることに、氷河は全く気付いていない。 彼は、逆に、気が急いているせいで瞬がそういう不調法に及んだのだと思っているらしい。 氷河の誤解に気付いた瞬は、ほとんど反射的に彼の腕を振りほどき、上体を起こした。 何か理由をつけてこの場を逃れなければならない――と、瞬は思った。 「瞬、どうかしたのか?」 「ごめんなさい。僕、急用を思い出した」 「急用って、おまえ――」 急にそわそわと落ち着かない様子になり、突然訳のわからないことを言い出した瞬に、氷河があっけにとられる。 だが瞬は、氷河の困惑には委細構わず、急いで彼と自分の間に距離を作った。 氷河にどう思われようと、今は、それは些事にすぎない。 だが、このまま氷河の求めに応じて 彼に身を任せてしまったら、おそらく その先に待っているのは二人の関係の破綻という大ごとなのである。 全く想定外の展開に瞳を見開いている氷河をその場に残し、瞬は、まさに脱兎のごとき勢いで その場から逃げ出したのだった。 |