「死んだ者におまえを支配されてしまってはたまらん」
瞬には訳のわからないことを言って、
「瞬、海に行こう、海。俺たちが生きていることを、二人で大いに謳歌しよう」
と、氷河が言い出したのは、その翌日のことだった。

季節は真夏である。
氷河の提案は決して非常識なものでも突拍子のないものでもなかったのだが、昨夜の記憶が全くない瞬は、その氷河らしからぬ提案に瞳を見開き、首をかしげることになったのである。
「お日様の下で氷河の裸は見てみたいけど……氷河、暑さでバテちゃうんじゃない?」
「……」
瞬に、実に尤もな意見を返されて、氷河が冷静さを取り戻す。
昨夜の出来事に慌て取り乱して、自分があまりに安直な提案をしたことに、氷河は遅ればせながらに気付いた。
『夏の謳歌』イコール『生の謳歌』ではないのだ。

「おまえの裸は誰にも見せたくないな……」
そう呟くことで、氷河は彼の提案を取り下げた。
そんな氷河に、瞬が――瞬は、氷河がなぜ急に二人が生きていることを謳歌しようなどと言い出したのかはわかっていなかったのだが――代替案を提示してくる。
「せっかく夏なんだし、雪を見にいかない?」
「雪? ヒマラヤ登山にでも挑む気か」

体力と精神力の限界に挑んで 生きていることを確信するのも悪くはない――と、氷河は半ば本気で思ったのだが、瞬は 命を賭けて生きていることを確認するような過酷なプランを立ててはいなかったらしい。
彼はすぐに軽く首を横に振った。
「残念ながら国内。グラード財団が資金提供して、伊豆にあった古い水族館をアクアスタジアムとしてすっかり造り変えちゃったの、知ってる?」
「ああ、東洋一大きな水槽があって、海よりも海らしい海が見られるとか宣伝を打ってる水族館だろう」

臨海実験所と観光施設を兼ねたその水族館が、国内外の海洋研究所や大学の協力と自治体の援助を取り付け、昨今の水族館ブームに乗って大いに繁盛しているという話は、氷河も聞いていた。
城戸沙織の企画は、決して外れるということがない。
一時は閉館もやむなしと言われるほど寂れていた水族館が、今は一大アミューズメントパークとして、国内で最も人気のある観光スポットになっていた。
「そこでね、珊瑚の産卵が見れるそうなの」
「珊瑚の産卵?」

珊瑚と雪がどう関係あるのか、氷河には全くわからなかったのである。
シベリアの海には珊瑚礁がなかったし、その生態についての知識も氷河はほとんど持ち合わせていなかった。
瞬が、どうやら沙織からの受け売りらしい薀蓄を、弾んだ声で披露し始める。
「珊瑚って、夏の満月か新月の夜に、その海域の珊瑚全部が、示し合わせたように放卵放精するんだって。日本だと、大抵、5月から8月の間にある満月の夜か新月の夜。今年はそれがまだ起きてなくてね、十中八九 今度の満月の夜がその日になるだろうって。それが今夜なの」
「何が雪なんだ?」
「海に一斉に放出される珊瑚の卵だよ。それが雪みたいに見えるんだって」

瞬の説明をそこまで聞いて、氷河は大仰に肩をすくめてしまったのである。
氷河は、自分と瞬の生を謳歌したいのであって、人様が頑張っている様を見物したいわけではなかったのだ。
「つまり、おまえは俺を、珊瑚の性交を見に行こうと誘っているわけか? 夕べだってあんなにしたのに、それでもまだ欲求不満とは、俺も力不足――」
「欲求不満なんて、なれるものならなってみたいよ! そんなんじゃなくて、僕は、海の中の生命の神秘を見に行こうって言ってるの!」
氷河の言い草に腹を立てたらしい瞬が、ぷっと頬を膨らませ、唇をとがらせる。

「冗談だ。それなら、おまえの裸にやきもきしなくても済むな」
二人の生を謳歌するためというより瞬の機嫌を直すために、氷河は瞬のお誘いを謹んで受けることにしたのだった。






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