俺だけが我儘なガキなのだと、俺にもわかっていた。
もう、わかっていた。
俺が気兼ねや負い目を感じることのないように、誰もが俺のために気を配り、心を砕いてくれていたのだということは。
それはわかっていたし、ありがたいとも思った。
マーマの新しい夫を見直したのも事実だった。
だが、その一方で、俺は、瞬が『お父さん、お父さん』と俺の知らない男を連呼することに苛立ちを覚え始めてもいた。

「お願い、お父さんのために――」
瞬の瞳には“お父さん”のための涙が浮かんでいる。
瞬にとって最も大事なのは、俺じゃなくて、瞬をこれまで慈しみ育ててくれた“お父さん”だけなんだ。

ほんの ついででもいい。
言葉の綾に過ぎなくてもいい。
『お父さんのため』じゃなく、俺のためだと――俺のためでもあると瞬が言ってくれていたら、少しは俺のことも考えてくれていると、瞬が言ってくれていたら、俺は決してそんなことを言ったりはしなかった――。
「お父さんのためなら何でもする、だと? 言うことだけは立派だが、それでおまえに何ができるというんだ。まともに食える料理も作れないくせに」

なぜそんなことを言ってしまったのか、俺はその時にはまだ わかっていなかった。
いや、薄々気付いていたかもしれない。
瞬が にわかに傷付いたような顔になる。
それから瞬は、まるで見当違いのことを言い出した。
「氷河……は、もしかして、お父さんじゃなく僕が嫌いだから、新しい家族と暮らすことを嫌がってるの?」

俺は無言でいた。
肯定も否定もできない。
今の俺には、瞬の“お父さん”なんてものは どうでもいい存在だった。
瞬――瞬のことしか考えていないし、考えられない。
俺のガキじみた言動のすべてが、瞬の推察通りに、瞬のせいだった。
「あの……だったら、僕はこの家に残るから、氷河はお父さんとお母さんのところに――」

そうじゃない。
そうじゃないんだ。
そうじゃないのに――苛立ちと嫉妬が、俺をひどく残酷な男にしていた。
「お父さんのためなら、何でもすると言ったな」
俺は瞬に尋ねた。
瞬が固い表情で こくりと頷く。
俺は今、瞬に対して絶対的優位にいた。
瞬が“お父さん”を幸福にするためには、俺の翻心が必要なんだ。

「おまえが俺と寝てくれたら、考えてやってもいい」
「……!」
なぜそんなことを言ってしまったのか――俺にはもうわかっていた。
俺は瞬が好きなんだ。
やること為すこと滅茶苦茶で、だが いつも健気なほど前向きな瞬を、俺は好きになってしまっていた。
相手は俺の弟で、男で、料理も掃除もできなくて、快適だった俺の生活を滅茶苦茶にしてくれた忌々しい奴なのに、それでも俺は瞬が好きで好きでたまらない。
そして、それと同じくらい、瞬が憎かった。

可愛くて憎い瞬が、ありえない返事を俺に返してくる。
「本当に、そうしたら、父の家に来てくれますか」
行くわけがないだろう! ――と、即座に俺は言うべきだった。
言うべきだったのに――。
「本当に氷河の言う通りにしたら、氷河はお父さんの家に行ってくれますね?」
俺の言葉を信じずに念を押してくる瞬が可愛くて健気で憎らしくて――俺は、リビングのソファで全身を縮こまらせていた瞬の腕を引き、その身体を床に押し倒していた。

俺にのしかかられても、瞬は逃げようともしない。
逃げようとしないどころか、瞬は、俺の下で観念したように固く目を閉じてしまった。
少し茶色がかった瞬の睫毛が小刻みに震えていることが 俺を更に苛立たせ、俺のその苛立ちは瞬だけでなく、俺自身にまで向き始めた。
いくら好きでも、こんなやり方で瞬を俺のものにしたりなんかできるはずがないじゃないか。
「馬鹿野郎っ!」
吐き捨てるようにそう言って、俺は瞬の上から自分の身体をどかせていた。






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