氷河を医務室に強制連行し、命に関わる重傷の手当てを済ませると、瞬はやっと心から安堵した。
傷を3倍早く治す救急絆創膏を二の腕に貼った氷河を従えて医務室を出たところで、帰宅したばかりらしいアテナこと城戸沙織に出会う。
彼女はこの家の管理を任せている某辰巳徳丸氏から本日の騒ぎの報告を受けた直後らしく、ひどく苦い表情をしていた。

「セキュリティシステムの改善が必要だわね。門が壊れるたびに屋敷が閉鎖状態になっていたのでは、招かれざる客はともかく招かれた客までが邸内に入れなくなるわ」
沙織の言葉を自身への叱責のように感じているのか、某辰巳徳丸氏はやたらと彼の女主人の傍らで冷や汗をかいている。
瞬たちの姿を認めると、沙織はその表情を和らげた。

「沙織さん、お帰りなさい」
「あら、今日はお疲れさま。ったく、ここを襲撃するのは私の在宅時だけにしてほしいわね。それだけで家屋修繕費が半分に減るのに」
「でも、沙織さんの身に危険が及ぶことはないんだと思うと、僕たちは安心して闘えますよ」
「敵がそんな気遣いをして、私のいない時にこの屋敷を襲撃してきているのだとは思えないわ」
結果的にアテナの聖闘士への気配りになっている敵の襲撃の非効率に、沙織は嘆息した。
無謀無計画な敵のために不要な支出を繰り返すことは癪だし、そんな馬鹿な敵のために 可愛い聖闘士たちの手を煩わせるのも忌々しい。

沙織が女神らしくない仕草で唇の端を歪ませる様を見てとった瞬は、不機嫌な彼女のために何か楽しい話題を提供したいと思ったのである。
口をついて出てきたのは、紫龍から聞いたばかりの(おそらく)童話の名だった。
子供向けの話なら、それは明るく楽しいものであるに違いなく、とりあえず瞬の手持ちの楽しい(と思われる)話題は、今はそれしかなかったのだ。
「あの、沙織さんは『きつねのおきゃくさま』って何なのか知ってますか?」
「え? ええ」
「紫龍にタイトルだけ教えてもらったんですけど、それって絵本か何かですか? どんなお話なんでしょう」

瞬に尋ねられた沙織の瞳は、にわかに かき曇った。
無計画な敵や融通のきかないセキュリティシステムへの憤りのためではなく、涙のために。
アテナの涙に驚く瞬に、沙織は頭を左右に振って、その話題の継続を拒んでみせたのだった。
「健気な動物たちのお話よ。内容は言わせないで」
「あ……はい、すみません……」
沙織の気持ちを引き立たせようとして持ち出した話題だったというのに、それはどうやら逆効果になってしまったらしい。
幸い沙織はそれで不機嫌ではなくなってくれたようだったが、瞬はそれまでさほど気にかけていなかった『きつねのおきゃくさま』の内容が、強く気になり始めてしまったのである。

「沙織さんが泣くなんて、いったいどんなお話なんだろう……」
その夜、瞬は、『きつねのおきゃくさま』なる物語の内容が気になって、なかなか寝つくことができなかった。






【next】