「瞬っ!」
瞬の身体を覆い抱きしめるようにして、氷河がその危険な液体から瞬を庇う。
いったい我が身に何が起こったのか――起こらなかったのか――、その事実を瞬がはっきりと認識することができたのは、彼が氷河に抱きしめられてから数秒が経ってからのことだった。

肉の焼ける音がする。
本当なら瞬の上にしたたっていたはずの強烈な酸の液体が、氷河の肩を焼いていた。
ネビュラチェーンを溶かした超強酸は、キグナスの聖衣のショルダーパーツをも容易かつ瞬時に どろどろに溶かし、酸の力は、聖衣に守られていた氷河の生身の肉体にまで及んだものらしい。

「氷河っ!」
我にかえって、瞬は仲間の名を叫んだのである。
叫んだつもりだった。
瞬はきつく氷河の胸に抱きしめられていたので、その声はくぐもり、痛みに耐えている氷河の耳に その声が届いたのかどうかも怪しかったが。

ケルベロスもどきは、動きの鈍くなった彼(?)の最初の犠牲者に興味を覚えたらしい。
二組の敵に分散させていた意識を、動きを捉えやすくなった一方の方にだけ集中させるように、彼はその巨体の向きを変えた。
ケルベロスもどきの変化に気付いた瞬は、氷河に抱きしめられたまま、再び大声をあげた。
「氷河、大丈夫っ !? ここは僕が食い止めるから、氷河は安全なところまで逃げてっ」
しかし、氷河には、瞬を抱きしめている腕をほどく力も既にほとんど残っていなかった。
氷河は、僅かに残る力を総動員させて、何とかそれをした。

「脚もやられた。俺は走れない。ここは俺が囮になって阻止する。おまえはいったん退け」
「そんなこと、できるわけが……」
できるわけがないではないか。
その身を挺して自分を庇ってくれた仲間を 更に囮にして我が身の保全を図ることなど。
だが、氷河は、この場では それが最善の策と判断したらしい。
瞬の抗議を受け付けず、彼はその身を魔獣の方に向け、その背中で瞬の退路を確保しようとした。

「氷河、逃げてっ」
「俺は走れないと言ったろう!」
互いに互いを庇おうとし合っている2人がいちゃついているように見えて癇に障ったのか、ケルベロスもどきが、氷河と瞬の斜め前方で その首を鬱陶しそうに振る。
瞬を庇って立っていた氷河の“綺麗な”顔に、超強酸の液体が――それは僅かな飛沫しぶき程度のものだったのだが――降りかかる。
今度は、肉が焼ける音はしなかった。
それは溶けていたのだ。

「氷河……っ !! 」
瞬の掠れた悲鳴は聞こえたが、瞬の姿を見ることは、氷河には もはやできなかった。
氷河の額から右の目にかけた部分で、鉄をも溶かす超強酸が その力を存分に発揮している。
まぶたを開けることができない。
顔が燃えるように熱かった。

「氷河―っ !! 」
瞬の悲鳴を聞いて、もう一方の首が振り撒く液体に悪戦苦闘していた星矢たちが、獣の背中を踏み台にして飛び越え、仲間の許に駆け寄ってくる。
「瞬、氷河っ、大丈夫かっ !? 氷河…… !? 」
「星矢っ、氷河がっ!」

言われなくても、星矢には既にその惨状が見てとれていた。
他に取りえも思いつかないと氷河本人が言っていた唯一の取りえが、この地上から消え失せようとしている。
平和惚けして恋にうつつを抜かしている仕様のない男とはいえ、氷河は、星矢たちにとって、命を賭けた闘いを共にしてきた かけがえのない仲間だった。
その仲間の悲惨な姿を見せられて、彼等の小宇宙は否応なく、意識したわけでもないのに、究極まで燃えあがったのである。






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