「僕は嫌だって言ったのに、あれは氷河が無理やり――」 それが瞬の言い訳――というより事実報告だった。 瞬が いちいち恥ずかしそうに瞬きを繰り返すせいで、彼が本当にその事実を深刻を受け止めているのかどうかの判断は非常に困難なものだったが、シリアスな苦悩の表情で氷河が告げた彼の悩みの内容に比べれば、瞬の訴えは余程信憑性というものを有している。 少なくとも、紫龍と星矢はそう思った。 実際 瞬は、氷河に比べれば はるかに現実を正しく認識し把握していたのである。 今回に限っては、こういう仕儀に至った責任の一端が自分にあることも、瞬は承知していた。 朝が終わったばかりだというのに、氷河が突然それを求めてきたのは、夕べ 自分が氷河の期待を裏切ったせいなのだ――と。 キスをしても目覚めてくれない恋人を、氷河は朝まで見詰め続けていた。 最初のうち、彼を支配していたものは不安だったらしいのだが、恋人に口付けられても目覚めてくれない恋人を長く見詰めているうちに、氷河の不安は 苛立ちを伴った不快の感情へと変化してしまったのだ。 「氷河がどういうつもりで そんなこと言ったのかは知らないけど、僕と氷河がその……そういうことで一致してるなんて、全然事実に反してるよ。一致なんかしてない。氷河は激しすぎて強すぎて、僕は氷河の相手するので精一杯。そろそろ限界超えかけてる。氷河は、どこででもしようとするし、ほんと いい迷惑なんだから!」 「どこででもって……どこででもかよ?」 瞬の剣幕に もしかすると、先程のように場所柄をわきまえていない暴挙は、実は以前にも幾度となく行なわれていたことだったのだろうか――と疑いながら。 だとしたら、これまでその場面に出くわさずに済んでいたことは、実に幸運なことだったと言える。 星矢の反問に、瞬は大きく頷き返してきた。 「こないだは真昼間のベランダで事に及ぼうとしたんだよ! 夜ならともかく真昼間だよ!」 「外から見えるだろう」 紫龍が、実にあっさりした口調で、氷河の無謀を指摘する。 瞬の部屋にしても氷河の部屋にしても、そのベランダは城戸邸の正門に向かって――つまりは、人の行き交う通りに向かって設えられている。 通りとベランダの間には広い庭があり、庭の周囲には それなりの高さを有した塀もあるので、意図して敷地内を覗き見ようとしない限り、2人の行為が人目にさらされることはない。 しかし、その庭の内には家人や使用人の目があることもあるのだ。 「あんなとこで下半身 剥きだしにされる身にもなってよ! 恥ずかしい!」 言う方も恥ずかしがっているようだったが、聞いている方は更に恥ずかしい。 瞬の告白は、氷河との猥談と違って、第三者がリラックスして聞ける類のものではなかった。 瞬の羞恥心が伝染して、星矢たちまでが妙に気恥ずかしい気分になってしまうのだ。 「迷惑なら迷惑だって言えばいいじゃないか。その気になったら、おまえは氷河の1人や2人 簡単に撃退できるだろ。なんで逆らわないんだよ」 「それは……だって……」 星矢の鋭い指摘に、瞬は目許をぽっと赤く染めて、その顔を俯かせた。 『だって氷河に嫌われたくないんだもの』とは、瞬は声に出して言うことはしなかったが、瞬が言葉にしなかった言い訳が、星矢たちの耳にはしっかりと聞こえていた。 それだけではなく――『氷河に嫌われたくない』という理由の他に――要するに瞬は、人に見られる危険さえなければ、氷河とのそれが好きなのだろう。 瞬の頬が薔薇色に上気しているのは、そういうことのようだった。 瞬は、その事実を告白することよりは、氷河の無理強いの顛末を語る方が恥ずかしくなかったらしい。 星矢たちが恥ずかしくなるような発言を、瞬は重ねた。 「通りを歩いてる人や庭にいるかもしれない人たちに見られないように、慌てて身体の向きを変えて、氷河の気が済むように大人しく言うこと聞いて――すごく無理な体勢をとらされて、僕、二階から落ちるかと思ったんだから! 僕、いつ氷河にそういうことされるかわからないから、この頃は用心のために裾の長いシャツを着るようにしてるんだよ!」 それは あらぬ場所でふいに事に及ばれた際に なるべく肌を人目にさらさずに済むように――という、瞬なりの警戒と配慮なのだろう。 氷河の要求を拒むという考えが全くないらしい瞬は、困ったような顔で(本当に困っているのかどうかは誰にもわからなかったが)仲間たちにぼやいた。 「体力があり余ってるにしたって、氷河のはひどすぎ。病的だよ」 「氷河は、自分と同じように おまえも体力があり余っていると思っているんだろう」 その氷河に付き合えるおまえはどうなんだと言ってしまわないところが、紫龍の深慮である。 実際その通りだから、瞬には氷河の相手が務まっているのだ。 それは瞬もわかっているらしく、瞬はその件に関しては反駁しようとはしなかった。 だが、体力以外の次元で氷河と瞬の間に はなはだしい認識の違いが存在することは事実のようである。 なぜ自分たちはこれほどまでに完璧な一致を実現することができるのか――という氷河の不安は、要するに彼の一方的な思い込みにすぎなかったのだ。 |