それから数日後のある日。
天気は快晴、場所は城戸邸、時刻は10時。
つまり、星矢の本日1回目のおやつの時間である。
最近星矢は、自分のおやつを携帯電話のカメラで撮ることを趣味にしていた。
その日のおやつは、うさぎやのうさぎ饅頭。
以前なら『いただきます』も言わずにかぶりついていたはずのそれに、星矢は、右から左から携帯カメラを向けて、ああでもないこうでもないと いつまでもぶつぶつ呟いている。
これが麺類ならとっくに伸び切っているところだと思いながら、瞬は星矢に尋ねたのである。

「そんなのの写真撮ってどうするの。どうせすぐに星矢のおなかの中に入っちゃうのに」
「そういうハカナイものだからこそ、記念に写真で残しとくんだよ!」
真顔で瞬に反駁してから、星矢は肩をすくめて唇の端を僅かに持ち上げた。
「というのは冗談だけど。俺、今、自分の食ったものを記録するブログ作ってるんだ」
「ブログ? 星矢が?」

『ブログ――Blog もしくは Weblog。
社会的な出来事や専門的トピックスに関して、個人的な意見や批評・解説を 日記に近い形式で公開するWebサイトの総称。
他ブログの記事との連携を図るトラックバック機能やコメント機能を有することが多く、話題ごとの著者同士や著者と読者によるコミュニティの形成が容易なことが、その最大の特徴である』

それは、アウトドア派の星矢には、およそ似つかわしくない趣味だった。
あまりに意外な単語が星矢の口から出てきたことに驚き、瞬は瞳を見開いたのである。
そんな瞬を見て、星矢もまた意外そうな顔をして、その目を見開いた。

「あれ、おまえ、知らねーの? 今、アテナ主催の聖域ブログ・コンテストが開催されてるんだぜ」
「ブログ・コンテスト?」
もちろん瞬は そんなイベントのことなど初耳だった。
ここのところ瞬はある心配事に気をとられていて、世間の動向に全く意識が向いていなかったのである。

「うん。沙織さんが退屈してるらしくてさ。聖闘士たちが自分のブログ作って、アクセス数とトラックバック数を競い合ってるんだ。俺のブログなんかは、ほとんどプライベートな記録帳みたいなもんだけど、黄金聖闘士たちは、なにしろ人に負けるのが大っ嫌いなおっさんばっかだろ。みんな、かなり気合い入れて運営してるみたいだぜ」
「ブログで世界平和でも訴えてるの」

「そんなの訴えたって、アクセス数はかせげないじゃん」
瞬の推察を、星矢は至極あっさりと否定した。
どうやらアテナの聖闘士たちは、アテナ主催のコンテストで優勝するために 見えも体裁も聖闘士としての建前もかなぐり捨てて、非情かつ現実的な戦いを繰り広げているらしい。
「そんなんじゃなくてさ、もっと広く大衆にアピールして、いろんな人からトラバをもらえる趣味のブログだよ。俺みたいに食い物関係のブログもあるけど、酒とか旅行記とかガーデニングとかマンガやフィギュアや――あ、フィギュアつっても、シャカがやってるのは仏像のフィギュアな。ミロなんか化粧品のブログやってんだぜ。世界でただ一つのマニュキア専門評価ブログ」

「……」
地上の平和と安寧を守るために命を賭けるべきアテナの聖闘士たちが そんなことをしていていいのかと呆れる一方で、瞬は、地上の平和と安寧を守るために命を賭けるべきアテナの聖闘士たちが そんなことをしていられるのだから、今 世界は平和なのだと安堵もしたのである。
そんな瞬に、星矢が無責任にブログ開設を勧めてくる。

「おまえらもさ、2人でいちゃいちゃしてるだけじゃ不毛だろ。ブログ作って、世界中に自分たちのいちゃつきぶりを公開してみたらどうだ? 氷河と瞬ちゃんのラブラブライフブログとかさ。写真は俺が撮ってやっから」
「僕には、そんな露出趣味はありません!」
ふざけたことを言って、携帯カメラを仲間の方に向けてきた星矢の提案を、瞬はきっぱりと却下した。
別にそんなことをするのが恥ずかしかったからではない。
そんなことをしても何の益もないと思ったからである。

「まあ、一般的に人間というものは他人の不幸には興味を抱くし知りたいとも思うものだが、他人の幸福には関心を持たないし、むしろ知りたくないものだろうからな」
自分の分のうさぎ饅頭をさっさと平らげてしまった紫龍が、熱いウーロン茶をすすりながら、瞬の判断を評価して深く頷く。
「他人の不幸を見聞きすることは、『自分はこれよりまし』という、ある意味 前向きな感情を閲覧者に抱かせるが、幸せな他人という存在は、他人にはやっかみというマイナス感情をしか抱かせないものだ。氷河と瞬がそんなブログを立ち上げたとしても、それを喜んで見るのは氷河と瞬くらいのものだろう」

「んなことねーだろ。氷河と瞬のラブラブライフなら、俺、やっかんだりせずに 毎日しっかりチェックするぜ」
「覗き趣味でな」
「だって、氷河と瞬は、覗いてほしいから そーゆーのを作るわけだろ?」
「それはそうだろうが……」

そんなブログなど絶対に作るものかと、瞬が改めて決意した時だった。
どさくさに紛れて氷河と瞬の姿を携帯カメラに収めた星矢が、その小さな画面に映る2人の姿を見て――より正確に言うなら、氷河の姿を見て――突然 珍妙な声をあげたのは。
「あれぇ〜?」
彼は、携帯カメラの中にいる氷河と実物の氷河の顔とを見比べて、首をかしげながら、
「おまえって、昔から こんな当たり障りのないツラしてたっけ?」
と言った。

「え?」
『当たり障りのない顔』――それは、ある人々にとっては褒め言葉になり、ある人々にとっては侮辱の言葉になる、実に微妙な表現である。
氷河に関して言うならば、彼はそのどちらでもなかったらしい。
星矢の発言に最も迅速に反応を示したのは、氷河ではなく瞬の方だった。

「カメラの調子が悪いのかな。髪の色はくすんでるし、目だって一重になってるように見えるし」
口を僅かにとがらせた星矢が、ケータイをいじりながら、今度は明確に褒め言葉ではない言葉を続ける。
「生気がないっつーか、存在感がないっつーか、没個性的っつーか、大衆に埋没した顔っつーか」
星矢を責めるつもりはないが、言いたいことを言ってくれるものだと、氷河は思った。
星矢を責めるつもりはないので、彼は黙っていたが。

無言無反応の氷河に代わって、またしても瞬が反応を示す。
その反応は、星矢にも紫龍にも意外としか思えないような反応だった。
どう考えても褒め言葉ではない氷河の顔への評価を聞いて、瞬はぱっと瞳を輝かせたのである。
そして、瞬は、ほとんど歓声と言っていいような声を室内に響かせた。
「じゃあ、僕の願いは叶ってるんだ! 僕には少しも変わってないように見えるから、全然わかんなかったけど!」
そう告げる瞬の声は、ひどく嬉しそうに弾んでいた。






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