クリスマスが日本のセックス産業の書き入れ時――と認識されるようになったのは、バブル経済期に端を発すると言われている。 その時代、分不相応の金を手にした若者たちは、できうる限りランクの高いレストランのクリスマスディナーとホテルの部屋を予約し、そこで恋人と共にイブの夜を過ごすことを、ほとんど人としての尊厳を保つための義務と感じていたらしい。 レストランとホテルの部屋の予約を済ませてから、恋人を――というより、イブの夜を共に過ごしてくれる誰かを――探し始める者も少なくなかったという話である。 バブル経済の崩壊と共に その習慣は廃れはしたが、クリスマスはイエスの生誕を祝う日ではなく、恋人と共に過ごすべき日であるという信仰は、いまだに相当数の信者を有するらしい。 神は その聖なる夜に 人々が心身を清らかに保ち、敬虔な祈りを奉げることを望みこそすれ、飽食と肉欲の夜を過ごすことなど望みはしないだろう――というのが氷河の考えで、彼は以前から日本人の自堕落なクリスマスの過ごし方を蔑み厭うていた。 しかし、彼はついに今年、その考えを改めるに至ったのである。 クリスマス――神不在の日本のクリスマス。 それは、無宗教・多宗教の日本人にとって、バレンタインデーや結婚記念日と大差ない一日なのだ。 日本人にとってのクリスマスとは、恋の成就のための、あるいは既に成った恋の再確認のための口実やきっかけとなる重大なイベントの一つなのである。 そこに世間が――特にサービス業界・小売業界が――ムード作りに貢献し、その貢献の仕方があまりに商業主義的であるために、そのイベントが あざとく下品に見えてしまうだけなのである。 しかし、サービス業界の思惑を別にすれば、クリスマスは、人類の犯した罪を一身に背負って神の御許に旅立った神の子イエスが 人の世に生を受けたとされる聖なる夜。 互いに心から恋し合う恋人同士が、神聖な気持ちで互いの思いを確かめ合うのに、これほどふさわしい夜もないではないか。 今年、初めて、氷河はそう思った――そう思うことができた。 日本におけるクリスマスのあり方への彼の評価を180度変えさせた原因は、いたって単純。 つまり、彼は、聖なる夜の雰囲気を利用して、奥手の瞬をその気にさせ、ついにコトに至ることができたのである。 原罪などという概念を理解できない日本人の習慣に、すっかり恋人たちのための日となっている日本のクリスマスというものに、氷河は心から感謝したのだった。 |