「わかるよ。僕も君みたいだった。自分では頑張ってるつもりなのに、人に庇われることしかできなくて、そんな自分をいつも泣いてごまかしてた」
呟くような口調で瞬が告げたその言葉を聞いて、氷河はやっと理解したのである。
瞬が、この愚かな子供を冷たく突き放してしまえない訳、瞬がこの我儘な子供の気持ちを『わかる』と言う訳――を。
瞬は、この図体だけは瞬よりも大きい子供に、幼い頃の自分を重ね見ていたのだ。

「頑張らなきゃ死ぬっていう状況に追い込まれて初めて、僕はやっと本当の意味で頑張り出したんだ。そしたら、それまでの自分は実は全然頑張っていなかったんだってことに気付いたの」
「頑張らなきゃ死ぬ……?」
瞬の言葉に驚き、子供が大きく目を大きく見開く。
「たとえだよ」
瞬はすぐに にこりと笑って、彼の驚きを和らげた。
『たとえ』にしてしまった方が 人に受け入れられやすいような試練を、瞬は乗り越えてきたのだ。
氷河には、その事実がひどく悲しいことに感じられた。

「そんなふうに、自分は努力してるのに――って思い込んでた時間が長かったから、その思い込みに気付いてからは、自分に自信を持てなくなっちゃったんだよね。僕が誰かに好きになってもらえるなんて、なんだか間違っているような気がして、きっと相手の人も僕のこと見誤っているんだって思って、どうしても応えられなくて――」
「瞬――」

瞬の言う その『相手』は、今 瞬の前にいる自分勝手な子供ではない。
そんなことは絶対にありえない。
では、それは誰だと――瞬が自信のなさから その好意に応えられずにいる相手は誰だと、氷河は逸る心を抑えて自らに問うたのである。
自分のことであってくれと、祈るような気持ちで、彼は強く思った。

「そうだね。僕は君と違って、勇気を奮い起こして『好きだ』って言うこともできない臆病者なんだ」
「瞬」
自身の内に生まれてくる期待に耐え切れず、氷河は瞬の名を呼んだ。
こんな馬鹿な子供など どうなってもいいではないかと思う。
そんなことより もっと大切な もっと重要なことを、氷河は瞬に確かめたかった。
(黙ってて)
すぐに瞬に切なげな目で制されて、氷河は黙るしかなかったが。
瞬は子供の相手を続け、その横顔を見詰める。
氷河の心臓は、尋常でない速さと強さで鼓動を打ち始めていた。

「僕ね、小さな頃から好きな人がいたんだ。でも、子供の頃の僕はどうしようもない泣き虫の怠け者だったから、彼には いつも呆れられてて、仕様のない子、庇ってやらなきゃならない子だと思われてた。――と思う、多分。その人に、僕も彼と同じ人間だと認めてもらえるようになるまで、6年かかった。6年頑張った。6年かけて、僕はやっとその人と対等な場所に立てるようになって――」
瞬は、まっすぐに馬鹿な子供の瞳を見詰めて、自らの物語を語っている。
瞬は、意識して“その人”の姿を見ないようにしているのだと、そうであってくれと、氷河は考えずにはいられなかった。

「それでやっと僕のこと見てもらえるようになったのに、でも、どこかで自分に自信が持ててなくて、『まさか僕が』『どうして僕なんかが』って思えて、見詰められてるのに見詰め返せなくて――。馬鹿だよね。こういうの、ひがみ根性って言うのかな」
瞬の苦笑には悲しそうな色が混じっている。
氷河は本当に、今 瞬の目の前にいる子供を追い払って、瞬と二人きりになりたかった。
そして、瞬を、問答無用で抱きしめたかった。

だが、氷河の代わりに口を開いたのは、氷河にとって邪魔で仕方のない馬鹿な子供で、その子供はいかにも彼らしい馬鹿な言葉を瞬に告げた。
「しゅ……瞬に好かれてるってわかったら、誰だって喜ぶに決まってるだろ。瞬は可愛いし――言ったろ。学校でも塾でも 瞬より可愛い子なんかいないって」
「可愛い? 外見が? そんなことには何の価値もないよ」
彼は、それでも一応、寂しげな表情を見せた瞬を慰めようとしたものらしかった。
が、それは瞬によって言下に否定された。

「僕は6年頑張った。それでやっと彼に僕自身を見てもらえるようになった。6年前だって、僕は今とあんまり変わらない姿をしてたのに、彼は当時の僕のことなんて振り向いてもくれなかった。ううん、きっと、彼は僕のことを泣くことしかできない弱くてかわいそうな子だと思っていた。彼は、僕が何も頑張っていないことがわかっていたから、だから、僕のことをそんなふうに思っていたんだと思う」

瞬の言う『彼』が白鳥座の聖闘士のことなのだとしたら、『彼』は瞬をそんなふうに思ったことは、これまで一度もなかった。
ただ確かに、子供の頃に瞬に対して、『俺が守ってやりたい』という気持ちを強く抱いていたのは事実だった。
瞬は、それを哀れみだと感じていたのだろうか――?

6年“頑張った”――という瞬の話を聞かされて、それでもその子供は、「ならば自分も」とは思わなかったようだった。
彼はどうやら無駄な努力はしたくない人間らしく、『頑張った』と告げた瞬に対して、実に愚かな質問を投げかけた。
「頑張っても、それでも駄目だったら……? 俺はいつもそうだった」

「本当に頑張ったのなら、もしそれで期待通りの結果を出すことができなかったとしても、君は胸を張っていられるはずだよ。多分君は、これまで本気で頑張ったことは一度もないと思う」
瞬は、子供の意気地のなさを一刀両断した。

優しい顔をして、瞬はきついことを言う。
しかし、“子供”は、瞬に言い返してこなかった。
瞬の推察が反論のしようのない事実だということを、彼もやっと認める気になったらしい。

「駄目だったらどうしようなんてことを最初に考えるような人間に、いったい何ができるっていうの。失敗した時の言い訳や逃げ場所を先に探してたら、人は本気で努力することなんかできないよ。君はまず、本当に頑張れることを見つけなくちゃならないんだと思う。好きで好きで、その人のためになら いくらでも頑張れると思える人や、それを実現するためになら どれほど時間と力を費やしても後悔しないだろうと思えるような夢――命だって懸けられるもの。それを見付けることができたら、きっと君は今度こそ本当に“頑張る”ことができるようになると思う」

瞬は、その夢を見付けて、その夢を叶えるために、持てる力のすべてを尽くして“頑張った”。
その人のために“努力した”のだ。
たとえその努力が実を結ばなくても、瞬は誰の前にでも胸を張って立つことができていただろう。
否、そもそも瞬は、おそらく諦めないのだ。
自らの夢をその手に掴み取るまで。






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