「俺、ほんとは、弁護士や医者より、ケーキ職人になりたいんだ。だから、カフェやケーキ屋をハシゴしてた」
瞬の前で項垂れ黙り込んでいた子供が、ぽつりとそんな言葉を吐き出した時、氷河はそれを“逃げ”なのではないかと思ったのである。
しかし、すぐに、そうではないことに気付いた。

馬鹿な子供の目は真剣である――真剣そのものだった。
だとしたら、なるほど“頑張れ”ないはずだと、氷河は思ったのである。
彼の夢は他にあったのに、おそらく、これまで 彼はその夢を言葉にすることすら許されない環境に立たされ続けていたに違いない。
だが、瞬は、その夢を肯定する。

「うん、素敵な夢だね。だとしたら、語学は大事な科目なんじゃないかな。あと、化学や生物や美術も。いつか外国に留学することになるかもしれないし、食べ物の味って、突き詰めていけば化学変化によって作られるものでしょ。それをどう感じるのかは人間の舌や脳だし、ケーキは姿も大切だよね」
「あ……」
瞬の言葉に、その子供は、それこそ目からウロコが落ちたような顔になった。
幾度も瞬きを繰り返しながら、テーブルの上に無意味に広げていたノートやテキストを見詰める。
それが無意味なものではないということに、彼は今 初めて気付いたらしかった。
「そっか……そうなんだ」

瞬が微笑んで頷く。
「だから、“頑張って”」
瞬にそう言われて、苦労知らずの中学生は泣きそうな顔になった。
馬鹿な子供が素直な子供になる。――なったように、氷河には見えた。

「お待たせして、ごめんなさい〜」
ちょうどそこに、もしかしたら その中学生の夢を一足先に実現した先輩なのかもしれない、この店の主が帰ってくる。
「幼稚園を出たところで、ミキちゃんのお母さんにつかまっちゃって」
見知らぬ子供の名前を出して言い訳をする店主の後ろから、『準備中』のプレートが『営業中』になるのを待っていたらしい二人連れが、店内に入ってきた。
瞬は慌てて元の席に戻り、そのお茶を出してくれた人のために、すっかりアイスティーになってしまっていたお茶を急いで飲みほした。

「また会えるかな。あの……付き合ってくれなくてもいいから、この店で会えた時には声かけるくらいはしてもいいかな」
店を出ようとした瞬に、素直な子供が殊勝な態度で お伺いをたててくる。
「うん」
瞬はもちろん、嬉しそうに笑って頷いた。






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