その週末。
氷河は彼の自宅マンションの部屋で、この1日をどう過ごすべきかを考えあぐねていた。
早朝、瞬から、一輝が珍しく丸一日休暇をとれたという連絡が入り、氷河は瞬を困らせないために瞬の家に行くことも、瞬を外に呼び出すこともできなくなってしまったのである。

結局一人で部屋にこもっているのは不毛だという結論に辿り着き、彼が外出の支度を始めたちょうどその時、来客を知らせる電話が入る。
モニターに映る来客の髪は、瞬のそれとは違う闇の色をしていた。
意外に思いはしたが、彼を追い払う理由も見付けられず、もしかしたら彼の用向きは瞬に関することなのかもしれないと考えて、氷河は彼の入室を許したのである。

氷河に玄関のドアを開けてもらったクロは、部屋の主が外出の準備をしているのを見てとって、嫌味たらしい笑みを浮かべた。
「今日は瞬は家を出られないぜ。1日、一輝兄さんのご機嫌とりを務めなくちゃならないから」
「知ってる」
わざわざそんなことを知らせに来たのかと、不愉快な気持ちになった氷河の首に、ふいにクロの腕が絡んでくる。
氷河は、ぎょっとした。

その腕をほどこうとした氷河の上に、更にありえない言葉が降ってくる。
クロが その目許に いかにも挑発的な笑みを刻んで、
「瞬より俺にしなよ。俺だったら、一輝兄さんも何したって文句つけないから」
と言ってきたのだ。
クロがどういうつもりでそんなことを言い出したのかを測りかね、氷河はおもむろに眉をひそめた。

「瞬と俺は 顔も身体もおんなじなんだから、どっちでもいいだろ。瞬みたいにキスするのにもカマトトぶって がたがた震えるような奴の相手は、おまえだって疲れるだろうし。俺なら、キスの先だってさせてやるぜ。今すぐにでも」
下卑た薄笑いを浮かべて そう告げるクロの意図が、氷河には まるでわからなかったのである。

クロが誰を好きなのか、誰をいちばん大切に思っているのかを、氷河は知っていた――知っているつもりだった。
わざと その人を貶めるようなことを言うクロの真意はわからないでもなかったが――要するにクロは、氷河を瞬から遠ざけたいのだ――、その目的を達する手段は他にいくらでもある。
気に入らない男を追い払うのに、何も我が身をエサにする必要はないではないか。

「瞬の裸を見たいんだろ? 俺とそっくりおんなじだぜ。俺と瞬、身長も体重も同じだからな。どうせ毎晩、頭ん中で瞬のこと犯しまくってるんだろ? そのくせ、瞬の前ではキスだけで満足してる振り。そういうの、俺、嫌いなんだよな」
瞬と同じ顔をした人間がそういう下卑たことを言うのが、氷河はたまらなく不快だった。
クロの腕を乱暴に引きはがし、氷河は、いかにも怒りを抑えかねているといった表情で、瞬の弟を睨みつけたのである。

「俺が好きなのは瞬だけだ」
「誰も彼も瞬、瞬、瞬って、どこがいいんだ、瞬なんかの」
「……」
なぜクロは、彼の片割れを貶めるのか――。
いずれにしても、瞬の何が人の心を捉えるのか、その理由を誰よりもよく知っているのは、瞬の双子の兄弟のはずである。
だから、氷河は無言でいた。

「まあ、瞬は、人の気に障ることはしないよな。人の言うこと何でも はいはいってきいて、自分の意見もないような優柔不断のいい子ちゃん。その場しのぎで流される事なかれ主義者――」
それがクロの本音ではないとわかってはいても、瞬の悪口を聞かされるのは、不愉快この上ない。
氷河はむっとした。

「少なくとも瞬は、『クロのどこがいいんだ』なんて馬鹿なことは言わない。瞬は、おまえが自分よりずっと純粋なのだと言っていた」
「え……」
それまで世界のすべてを軽蔑するようにシニカルな目付きで氷河を睨みつけていたクロが、その言葉を聞いた途端に、無防備で幼い子供そのままの表情を浮かべる。
見失った家、見失った故郷、見失った母親を見い出して、どうしようもない心細さから解放された子供のような表情。
そんなものを、あろうことか瞬の生意気な弟に見せられて、氷河は一瞬 毒気を抜かれてしまったのである。
もちろんクロはすぐにその表情を消し去って、他人に挑みかかるような いつもの眼差しを再度氷河に向けてきたのだが。

「ふん、意気地なし」
氷河を煮え切らない男と見てとったのか、クロは捨てゼリフだけを残して、さっさと氷河の前から消えてしまった。
不思議なものを見てしまった驚きが、キツネにつままれたような気分に変わる。
氷河はリビングに戻り、ソファにその身を投げ出した。
クロの意図がわからない。
クロの真意と目的が、氷河にはわからなかった。
それはともかく。

「……瞬の裸が見られるのか。家族というのは役得だな」
自然に身体の奥から溜め息が生まれてくる。
外出する気は、とうに失せていた。






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