エティオピアの王宮で迎える最初の夜。 南の国の王宮にヒョウガのために用意された部屋は、無駄に豪奢だった。 いかにも急ごしらえに用意された様子の北の国風の調度と家具は、この王宮の他の素朴な造りの部屋に比べると、明らかに“浮いている”。 そういう部屋の用意の指示を出したのが、短気な王なのか気苦労の多い王子なのかはヒョウガにはわからなかったが、彼等がヒョウガを“大切な客人”と思っていることだけは、どうやら事実らしい。 それにしても、その無駄な豪奢は、ヒョウガには有難迷惑だったのである。 天蓋と重苦しい幕付きの寝台は、冷たい外気を寝所に持ち込まないようにするには有効だろうが、暖かい国では蒸し風呂を作る拷問具でしかない。 それでなくても北と南の気温の差に辟易していたヒョウガは、到底 そんな空気のよどんだ閉鎖空間で休む気にはなれず、窓の側の長椅子を寝台代わりにすることにした。 城は高台にあり、海が近いはずなのに窓から入る風は潮の匂いをあまり含まず、心地良い。 見晴らしもよく、海岸に沿ってある町の灯りも農業国にしては豊かであるように見えた。 北の国ではそろそろ初雪が降る季節に、この暖かさである。 不作の原因さえ取り除くことができれば、エティオピアの農作物は数ヶ月の遅刻分をすぐに取り戻してくれそうだった。 が、その原因がわからない。 いっそ、いずれかの神が犯行声明でも出してくれないものかと、ヒョウガは思い始めていた。 「雨量も日照時間も十分。これではまるでは、エティオピアの植物が、突然 徒党を組んで土に反乱でも起こしたようだ」 窓の外に向かって そう呟いたヒョウガに与えられたものは、残念ながら ヒョウガの期待した神の犯行声明ではなかった。 「お疲れですか。何かご所望のものはありませんか」 人と人の世を弄ぶ傲慢な神ではなく、気苦労の多い人間がひとり、いつのまにかヒョウガの部屋に入り込んでいた。 ヒョウガが その声に弾かれたように後ろを振り返ると、神とは違って礼儀を心得ている人間は、申し訳なさそうな目をヒョウガに向けてきた。 「あの……入っても構わないかと声はかけたんですが、お返事がなかったので……」 家来に申しつければ済むようなことなのに、わざわざ王子自らが客人の部屋にやってくるあたり、そして、『大先生との面談の成果はあったのか』とヒョウガを急かしてこないあたり、確かに この年若いエティオピアの王子は、他人に対して気配りすることが常態となっている人間のようだった。 この王子の厳酷かつ短気な兄というのが、全く想像できない。 “大切な客人”の前に結局一度も姿を見せなかったこの国の王のことを思い出したヒョウガは、許可を得ていないシュンの入室を咎める代わりに、気短な王の所在をシュンに尋ねた。 「この国の王はどこにいるんだ」 「兄は先月から、特に不作のひどい地方の視察――というか慰問に出ているんです。ご挨拶できなくて、すみません」 「なに?」 短気な人間というものは、結論や成果を1秒でも早く得たいと思う人間のことである。 シュンの兄は本当に短気な男なのかと、ヒョウガは訝ることになった。 「そんなことをしても、何の解決にもならないだろう。何の益も得られない」 その上、エティオピアの国土は広い。 王が見て回ることのできる場所は限られるはずだった。 シュンの兄のしていることは、ヒョウガには全く意味のないことのように思えたのである。 しかし、シュンは――おそらく、シュンの兄も――ヒョウガとは異なる考えを持っているらしかった。 「それは確かに、そういうことは根本的な解決には直接繋がらないことかもしれませんけど、王家が民を心配していることや見放していないということを知れば、民は安心するでしょう。ヒュペルボレオイの王家の人は認めたくないかもしれませんが、人はやはり、まず心で生きているものなんです。気の持ちようで、つらい試練や苦難を案外簡単に乗り越えることができたりする」 「……」 ある障害に出合った時、北の王家の者たちは、その原因を冷静に分析し対応策を練ることで、その障害を取り除く。 同じ場面を、南の国の者たちは笑って乗り越えてしまうのかもしれない――とヒョウガは思った。 エティオピアの王宮が北の国の王宮とは対照的に明るいのは、この国が北の国よりも陽光に恵まれているという理由だけのせいではないようだった。 人を動かすのは、その心である――という事実を認めることについては、ヒョウガも やぶさかではなかった。 人の心が利害や理屈だけで動くものなのであれば、世のすべての問題はヒュペルボレオイ王家の者でなくても解決でき、排除することができる。 だが現実はそうではないから、ヒュペルボレオイ王家の者は様々な国や様々な場面で重宝されているのだ。 彼等は、人の心を読むために、自身の心を殺すことのできる者たちであるから。 これまでヒョウガは、正統の王族ではないと軽視されるからこそ、より正統らしくあろうと努めてきた。 そういうものであろうと努力するほどに、そういうものになりきれない自分を、ヒョウガは思い知ることになったのだが。 |