冬場だというのに、彼は、袖のない薄い綿のシャツを一枚着ているだけだった。
しかも、それは埃にまみれている。
瞬とマネージャーが控え室に入っていくと、彼はすぐに掛けていた椅子から立ち上がり、瞬の側に歩み寄ってきた。
彼の手が瞬に触れる直前で、マネージャーがその手を取り押さえる。
しかし彼が、金髪の不審人物に向かって告げた言葉は、大事な商品を傷付けられることを危惧した人間のそれではなかった。

「君、その身のこなしはモデルの身のこなしに見えるが」
すっかり彼を瞬の性別をネタに強請ゆすりたかりに来た無頼者とばかり思い込んでいたマネージャーは、金髪男の所作を見るなり、その考えを改めたらしい。
モデル志願の瞬の知り合いが 瞬をつてに仕事を探しにきたのだ――と、彼は思ったようだった。
そして彼は、その金髪男には見込みがあると踏んだらしい。
マネージャーが瞳を輝かせるのに気付いて、瞬はなぜかひどく慌てることになった。

「だめっ、その人はそんな人じゃないのっ!」
そんな人もこんな人も、瞬は彼の名前すら知らない。
それでも、瞬は、いつになく強い態度でマネージャーを引きとどめた。
幸い 今日の仕事はこれで終わりだったので、瞬は、渋るマネージャーから見知らぬ男を奪い取り、さっさとホテルの廊下に出たのである。

「どうしてあそこにいたの。マスコミ関係の人じゃないようだけど」
彼を引っ張って、他の客の姿のないエレベーターホールまで来てから、瞬はやっと彼に直接話しかけることができた。
彼は、それには何の答えも返してよこさず、ただ無言で瞬を見詰めるばかりである。
どうしても彼の声を聞きたかった瞬は、重ねて彼に尋ねた。
「人に見られるのは苦手そうだし、モデル志願なんかじゃないんでしょう?」

「寝る場所と働き口を探してはいた」
初めて――やっと――ぶっきらぼうな返事が返ってくる。
「寝る場所? 行くところがないの?」
その声の響きに気持ちを高揚させ、もっと彼の声が聞けることを期待して、瞬は畳み掛けるように彼に問いかけた。
――が、今度は返事がない。

彼の作る沈黙が、瞬の質問への肯定なのか否定なのか、ほとんど表情らしい表情のない彼の様子からは、瞬は窺い知ることができなかった。
ただ、どう考えても彼は不審人物である。
それだけが彼とのやりとりで瞬にわかったことだった。
だから、瞬は、自分がなぜ いかにも怪しげなその男にそんなことを言ってしまったのかが、どうしてもわからなかったのである。
「僕のところに来る?」
瞬は、今日初めて出会った見知らぬ男に、そう尋ねてしまっていたのだ――否、誘ってしまっていたのだ。

「しかし――」
彼は、一応は遠慮というものを知っているらしい。
というより、やはり彼は突然の瞬の誘いに戸惑ったものらしかった。
躊躇を見せる金髪の男に、瞬はなぜかひどい焦りを覚えることになったのである。
瞬は、彼と このまま別れてしまいたくなかった。

「ね。僕、男に見える? 女に見える?」
「女ではなさそうだ」
「あたり。だから、大丈夫だよ。誘惑したりしないから。おなかすいてない?」
そう言ってしまってから、瞬は、自分が彼を引き止めることばかりを考えて、彼に失礼なことを言ってしまったことに気付いたのである。
「僕、夕食まだなんです。嫌でなかったら、僕に付き合ってください」
瞬は慌てて、その不審な男のために言葉を訂正した。






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