瞬が氷河と共に久し振りに教会を訪ねることができたのは、「本当に僕の頼んだものが子供たちの許に届けられているのか、自分の目で確かめたい」と、瞬が彼の契約相手であるアパレルメーカーに契約履行確認を要求したからだった。
その頃には、瞬がイメージモデルを務めたブランド名は既に広く社会に認知されるようになっており、企業側も瞬の貢献に報いるつもりで、その許可を出す気になったらしい。
いつまでも明かされない瞬の“神秘のセックス”の謎への大衆の熱狂も沈静化し始め、企業側は次に打つ手を模索し始めているようだった。

久々に丸一日の休日を手に入れた瞬は、その日を子供たちとどんなふうに過ごそうかと あれこれ考え、気分も比較的晴れやかだったのである。
だが、久し振りに訪れた教会で瞬を出迎えたものは、明るく元気な子供たちの歓声ではなく、一人の子供の悲痛な泣き声だった。
ちょうど その日、瞬の故郷でもある児童養護施設に、行き場を失った子供が一人、新たに引き取られてきたところだったのだ。

「お父さん、お母さん、お母さんっ!」
泣き叫び、手足を無意味に振り回しているその子供は、小学校の3、4年生ほどの歳の子供に見えた。
声変わり前の声はひどく掠れ、目の焦点も合っていないように見える。
「さっきまで、まるで人形のように大人しくしていたんですが、急に錯乱しだして……」
その子供を連れてきたらしい児童相談所の職員が、牧師に事情を説明していた。
「あの子は、自分の両親が亡くなったことを、未だに理解できていないんです」
――と。

「牧師様」
子供たちの居住区がある施設の玄関に入り口に瞬がいることに気付くと、瞬に呼ばれた人物はほんの一瞬だけ つらそうな笑顔を見せて、瞬に客間で待つようにと目で示してきた。


「――1週間ほど前に、交通事故で両親を亡くした子でね。深夜、高熱を出したあの子を病院に運ぼうと車で急いでいたところに、酒酔い運転の軽トラックが正面から突っ込んできたんだそうだ。車を運転していた父親と助手席の母親は即死。後部座席に横になっていたあの子だけはかろうじて助かったんだが、加害者は、後部座席の子供に気を取られて、あの子の両親は前方を見ていなかったんじゃないかと言い掛かりをつけてきて、保障問題の方も揉めているらしい」

児童相談所から同道してきた医師に催眠鎮静剤を投薬されて、あの子供は、これから彼が暮らすことになる部屋で眠りに就いたということだった。
瞬と氷河のいる客間にやってきた牧師は、深い溜め息をつきながら、瞬に子供の錯乱の訳を語ってくれた。
「損傷がひどくて両親の遺体も見せられなかったそうだ。死の意味がわからない歳ではないんだが、現状を認識できずにいるのも無理はない」

「そんな……」
それは、初めて見る光景ではない。
不幸な子供も、彼だけではない。
瞬自身、幼い頃にはこの養護施設と教会のそこここで泣いてばかりいた記憶がある。

つい数日前まで幸福だった子供。
それが理不尽な力によって幸福な生活を奪い取られ、更に消えない傷を心に負わされる。
なぜこんなことが起こり、なぜこんな子供が次から次に生まれるのか。
あの子供に笑顔が戻る日はいったいいつなのか、そもそもそんな日は本当に訪れるのか。
瞬には、わからなかった。
瞬自身が、その日の訪れを感じたことがなかったから。

だがもし、あの子が笑ってくれるようになるのなら、そのために自分はどんなことでもするだろう――と思う。
同時に、今はその不幸な子供に何をしてやることもできない無力な自分に歯ぎしりする思いに捕らわれ――そして、瞬は思い出してしまったのである。
かつて自分が闘っていたこと、その訳を。

不幸な子供をなくしたいと思った。
せめて、その笑顔を守りたいと思い、瞬は、そのためにアテナの聖闘士として闘っていた。
アテナの掲げる正義が、自分と同じことを望むものだと信じることができたから。
だのになぜ、自分はこんなところに為す術もなく突っ立っているのか――。

「僕、沙織さんのところに行かなくちゃ――」
自分自身にも聞き取れないほど小さな声で そう呟いてから、瞬は、自分の隣りに懐かしい仲間の姿があることに気付いたのだった。






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