瞬と氷河の間にトラブルを持ち込んでくれた学生の就職活動は順調らしく、彼の最初の城戸邸訪問から半月が経った頃、初めて内々定がもらえたという連絡が、彼から瞬の許に入った。
氷河と瞬は つかず離れず、決定的な破綻に至らない代わりに、ぎこちなさも消えない状態で日々を過ごしていた。
氷河は時折、行き先も告げずにふらりとどこかに出掛けていき、深夜に帰ってくる。
彼がどこに行っているのかを瞬は問い詰めることもできず――できないまま、2ヶ月が過ぎた。


その日、例の学生から 折り入って話があるという電話が入った時、瞬は一言の答えも返さずに、その電話を切ってしまおうかと思ったのである。
彼が瞬に出向いてきてほしいと告げた喫茶室は城戸邸から歩いていける場所にあり、人に外出を求めるくらいなら、彼が城戸邸を訪ねてくればいいのに――とも思った。

もう関わり合いを持ちたくないと思っていた相手の呼び出しに 瞬が応じたのは、彼が氷河に取り持った女性たちと氷河のことが気になって仕方がなかったからに他ならない。
そして、彼が瞬に切り出した話というのも、氷河と彼女たちに関することだった。
瞬が喫茶室の席に着き、お茶のオーダーを済ませると、彼は突然テーブルの上に身を乗り出し、他聞をはばかるような低い声で、瞬に尋ねてきたのである。
「例の女史たちの中の一人が妊娠したらしいんだけど、あの金髪の彼氏から何か聞いてる?」

彼が告げた言葉の意味を理解するのに、瞬は1分弱の時間を要した。
理解できた途端に、全身から血の気が引いていく。
何と言えばいいのか、どういう表情を作ればいいのかがわからない。
かろうじて瞬が声にすることができたのは、
「嘘……」
という、短く かすれた呟きだけだった。

瞬をこの場に呼び出した男が、ほぼ予想通りだったらしい瞬の反応に、わざとらしく困ったような顔を作ってみせる。
「僕も、学校のカフェテラスで彼女たちの話を小耳に挟んだだけで、ほんとかどうかはわからないんだけど……。さすがに当人には訊けないだろ、そんなこと」
「……」
「でも、どう考えても、相手はあの金髪の彼氏なんだよな。とんでもない美形が産まれるに違いないなんて、嬉しそうに言ってたし」
「ご……ごめんなさい。僕、気分が悪い。帰る――」

オーダーしたお茶がテーブルに運ばれてくる前に、瞬は掛けていた椅子から立ち上がった。
少し目眩いがする。
心臓が異様な速さで鼓動を打ち、思考をまともに形作ることができない。
「瞬ちゃ……」
「帰る!」

心配そうな顔を瞬に向けてきた学生の言葉を、瞬は鋭い声で遮った。
これ以上彼の声を聞いていたら、自分は取り乱して何をしてしまうかわからない――と、瞬は思ったのである。
自分の就職のために他人の都合を無視した男をなじり、彼に女性を紹介しろと要求した男をなじり、そんな男に身を任せた女性を、自分は大声で なじってしまいかねない――そう思ったから。
そんな見苦しい事態を避けるために、瞬はその喫茶室から逃げ出した。






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