瞬が城戸邸に駆け戻ると、そこには今日も氷河の姿はなかった。
彼はまた、どこかにふらりと出ていってしまったらしい。
いったい何がどうなっているのか、瞬にはまるでわからなかったのである。
考えてみれば、以前はこんなことはなかった。
瞬が氷河に側にいてほしいと思った時、そこに氷河の姿がなかったことなど、少なくとも2ヶ月前までは滅多にあることではなかったのだ。

だが、考えてみれば、それも不思議なことである。
氷河に会いたいと思った時、彼がいないことがない。
いつも彼が瞬を待っていてくれたのでなければ、それはありえないことと言ってよかった。

氷河は決して外出することが嫌いだったのではなく――もしかしたら、彼はいつも自分を待っていてくれたのだったかもしれない――。
瞬は、こんなことになって初めて、その可能性に思いを至らせた。
同時に、自分が 今氷河の心を捉えている者に尋常でなく激しく嫉妬していることに気付く。

氷河は自分だけのもので、自分も氷河だけのものだと信じていた。
氷河も同じことを信じてくれているのだと思っていた。
だから瞬は、自分に声を掛けてくる見知らぬ者たちについていくこともできたのである。
自分は氷河だけが好きだということを知っていたから。
氷河もそのことを知っていてくれると思っていたから。

だが、それは自分の勝手な思い込みにすぎなかったのかもしれない。
氷河は、“瞬”を信じていなかったし、“瞬”が彼を好きでいることも知らなかった。そして、自分以外の男とふらふらしている“瞬”を、彼は待ち続け、ついに待つことに飽いてしまった――のだとしたら。
そうなのだとしたら、瞬には氷河を責めることはできなかった。
その上、氷河がもし本当にあの大学生に紹介された女性に本気になってしまったのだとしたら、その女性は、瞬にとっては“勝てない相手”である。
女性だという その一事だけで、彼女は既に瞬に勝っているのだ。

もし本当にそんなことになったなら、自分はこれまで通りに氷河の側にいることを諦めなければならない――と思う。
だが、そんなことが自分にできるのだろうか――そんな状態に、自分は耐えることができるのだろうか――?
さほど長い間考えを重ねなくても、瞬はすぐに その答えに辿り着くことができた。
『そんなことには耐えられない』という答えに。

とにかく、氷河に事の真偽をたださなければならない、と思う。
あの学生からもたらされた不確かな情報が事実である可能性は、決して低くはない。
氷河は避妊などという面倒なことはしないのだ。
これまで、彼の恋人は――もしかしたら恋人ですらなかったのかもしれないが――その心配をする必要がない人間だったのだから。

「や……やだ」
そんな生々しいことを考えている自分にぞっとする。
「やだ……いやだいやだっ」
声に出して、瞬は、その考えを振り払った。
そして、無理に氷河と自分のことを――氷河とその女性のことではなく――考える。
それもまた、今となっては もはやつらいことでしかなかったが。

白鳥座の聖闘士とアンドロメダ座の聖闘士――二人の間には、命懸けの闘いを共にしてきたという信頼感があった。
おそらく、二人の間には終始それしかなかったのだろう。
だが、その信頼感があまりに強固なものだったので、瞬は、氷河に求められた時、彼に身を委ねるのが当然のことに思え、その通りにした。
しかし、二人の間には今も過去にも それしかない。
命を懸けた闘いを共にできる仲間だという信頼感だけしか。
どんな約束を交わすこともできず、何も求められない。
二人の間には、不確かで頼りない二人の心しかないのだ。

これまで、その心を疑わずにこれたことの方が奇跡だったのだと思った途端に、瞬の瞳からは涙が零れ落ちた。






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