「……いない方がいい」
「なぜ」
『何もかも、おまえの望む通りになる』と瞬に告げた氷河が、瞬に問うてくる。
自分の望むことが氷河の意に沿わなかったのかと、瞬はまた狼狽することになった。
人が人を必要としないということは、“人”に良い印象を与えないことなのかもしれないという考えが、瞬の胸中に浮かんでくる。

瞬は慌てて、自分が人嫌いなわけではなく、偏屈に孤独を好む人間であるわけでもないということを、氷河に知らせようとした。
それが事実かどうかということは、この際 大した問題ではない。
瞬はただ、氷河に嫌われてしまいたくなかったのである。
氷河は必要なのだ。
氷河は失いたくない。

「だ……だって、ほら、こんな 何も隔てるものがない、花しかないところで、二人でいるのを他の人に見られたら嫌だもの」
「見られたら嫌なのか」
「恥ずかしいでしょ」
「見られたら恥ずかしいことをしたいと?」
「……」

なぜ話がそんな方向に飛ぶのかと、瞬は微かな――本当に微かな――苛立ちを覚えた。
氷河がこの世界から消えてしまうことを怖れて 懸命に氷河の気に入るようにしようと努めている人間の心に、氷河は気付いていないのかと、瞬は切なくなってしまったのである。
だが、瞬の小さな苛立ちはすぐに消えてしまった。
実際、瞬はそれ・・をしたかったのだ。
それは、自分が氷河に求められていることを実感でき、嫌われていないことを確かめることができ、それによって、瞬自身の身体と心までもが満たされ安定する行為だったから。

だから、瞬は黙っていたのである。
瞬は、氷河の言葉を否定しないことで、肯定したつもりだった。
しかし、氷河は一向に瞬に触れようとしない。

これまでなら氷河は、瞬が無言でいる時にも、その意図を察し、すぐに抱きしめてくれていた――ような気がする。
瞬の記憶は曖昧で、間違いなく そうだったという確信はなかったのだが、それでも そんな気がした。
だが、氷河はただ無言で瞬を見詰めているばかりである。
やがて瞬は、氷河が自分に触れようとしない訳に気付いた。
ここは“瞬”の世界で、“瞬”の望むことが叶う世界なのだ。
瞬が望まなければ、何も叶わず、実現しない。
言葉にも態度にも出さず、沈黙して待っているだけでは、氷河は何もできないのだ。

そんな言葉を明るい光の中で告げることには かなりの抵抗があったのだが、瞬は今、それを痛切に必要としていた。
氷河に触れ触れられ、求め求められて、安心したい。
気持ちが急いていることをなるべく表に出さないように注意しながら、瞬は氷河に告げた。
「したいです」
途端に氷河の両腕が瞬を強く抱きしめてくる。
瞬は、それだけで感極まった声をあげてしまいそうなほどの喜びと期待を感じ、全身を震わせた。

むせかえるような花の中で抱き合い、絡み合い、花になら何を見られても何を聞かれても構わないと安心して、瞬は、いつもの自制を忘れて喘ぎ、喜悦の声をあげた。
一度そうしてみたかったのである。
氷河に抱きしめられている時に、どれほど自分が歓喜し陶酔し幸福だと感じているのかを、氷河に知ってもらうために。

花の中で氷河に揺さぶられながら、瞬は、これが自分の望んでいた世界だったのかと自らに問いかけ、これが自分の望んでいた世界だったのだと自らに言い聞かせた。






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