何も足りないもののない満ち足りた世界。
それでも時折、そして絶えず、不安は生まれた。
欲しいものはないのに、この世界には何かが欠けている――という疑いの心が、瞬の中で頭をもたげてくるのだ。
望むことがすべて叶い、欲しいものがないということは幸福なことなのだろうか。
望むことがすべて叶い、それ以上の何かを望まずに済む世界の住人は幸福な人間なのだろうか。
そして、無憂の園で不足も不満も憂いもない日々を永遠に繰り返すことは、幸福なことなのだろうか――と。

死んでいる人間になら、そんな幸福にも耐えられるのかもしれない。
だが、生きている人間は――。
(生きている人間……?)
瞬は、その時初めて、その根本的な疑念を、明確に自分の意識の上に乗せたのである。
すなわち、自分は本当に生きているのだろうか――という疑念を。

生きていると感じてはいる。
ものを考えることは、生きている人間にのみ為し得る行為であり、氷河と身体を交わらせている時に感じる喜びは、生きている人間にしか感じ得ないものだと思う。
だが、今の自分には苦しみも悩みもない。
今 自分は、生物学的には生きてはいるが、その生は羊や花のそれと同じものである――ような気がした。

羊の生と人間の生は違うもののはずである。
まして、無私無心の花のそれと、人間の生が同じものであるはずがない。
そして、氷河は、まるで何かを欲することが人間の生きている証だと訴えるかのように、あの問いを繰り返す。
「何か欲しいものはないか?」
やはり氷河は、瞬が何かを望むことを期待しているようだった。
だが、いったい氷河は、自分に氷河以外の何を欲してほしいと思っているのか――。
瞬には、それがわからなかったのである。

瞬は、氷河が好きだった。
氷河が望む答えを彼に返し、彼に喜んでもらいたい。
しいて欲しいものを挙げろというのなら、それこそが瞬の望みだった。
氷河の期待に沿い、彼に喜んでもらいたい――ということが。
しかし、どれほど懸命に考えても、瞬は氷河以外の“欲しいもの”が思いつかなかった。
ここが本当に死の国で、自分は本当は死んでいるから、何も望むことができないのではないかと、瞬は、そんなことさえ考えたのである。

氷河が望む答えが何なのか、それを手に入れる最も手っ取り早い方法は、その答えを氷河に訊いてみることだったろう。
だが、それが何なのかは自分で考えなければならないような気がして、そうでなければ氷河が喜んでくれないような気がして、瞬は、彼が望むものが何なのかを氷河に尋ねることができなかった。

尋ねる代わりに、こっそりと氷河の顔を窺う。
気のせいか、氷河の表情は、彼が初めてこの世界に来た時より、青ざめて生気が失せているように見えた。
瞬が望めば、すぐに抱きしめてはくれるのだが、氷河がその行為を喜び楽しんでいる様子も、以前より薄れたような気がする。
この世界にいること、この世界で生きていることを、彼は楽しんでいない――むしろ、彼は この世界にいるせいで不幸なのではないかと、瞬は思わずにいられなかった。

ここは無憂の楽園だったはずなのに、その楽園の住人がそんな考えを抱くこと自体が既に大きな矛盾である。
瞬は、我が身とこの世界に、何らかの危険が迫っているような気がしてならなかった。






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