私立の小学校は既に春休みに入っているのか、二人が向かった某東京都恩賜上野動物園は、平日であるにも関わらず、それなりに親子連れで賑わっていた。
さすがにホストクラブの引き抜きはいないようだったが、学生や社会人のカップルもいないことはない。

表門の真正面にあるレッサーパンダの檻の前で、氷河はおもむろに、そして どこか浮かれた口調で、
「さて、じゃあ始めるとするか」
と、恋人同士の振りの試みを開始する宣言をした。
宣言を終えるなり、その右の腕を瞬の腰に回してくる。
瞬の頬に氷河の金髪が触れ、瞬はその感触に ひどくどぎまぎすることになった。

「こ……こんなことしたら歩きにくいだけでしょ」
「急ぐわけでもないし、並んで歩いてるだけだと、おまえが俺の彼女だってことを世間にアピールできないじゃないか」
それは確かに氷河の言う通りかもしれないが、主賓の入園者は子供である動物園で この密着度はないだろうと、瞬は思わずにはいられなかった。
その上、やたらと すれ違う入園者たちがちらちらと二人の方に視線を投げてくる。
瞬は居心地が悪くてならなかった。

「みんなが変な目で見てる。やっぱり僕たち、どこかおかしいんだよ」
「おまえが可愛くて、俺がいい男だからだ。俺たちは、まれに見る美男美少女の一対だぞ」
氷河はすっかり悦に入って呑気にそんなことを言っていたが、瞬は、園内を散策している人間たちはもちろん、プールサイドに群れているケープペンギンにも笑われているような気がして、氷河の胸と腕の間で身体を縮こまらせたのである。

そんな瞬の耳許に、氷河がふいに囁いてくる。
「瞬、愛してるぞ」
恥ずかしいセリフと共に 彼の息使いまでを間近に感じて、瞬は、頬と耳とを真っ赤に染めることになった。
探るような上目使いで氷河の表情を窺うと、彼の青い瞳は全く真剣味をたたえておらず、ただただ楽しそうに明るく輝いている。
要するに、それは、氷河にとっては正真正銘の戯れ言で、それ以外の何ものでもないのだ。
その事実に気付くと、上気していた瞬の頬は たちまち冷めてしまった。

「……氷河、これはただの“振り”なんだから、変に悪乗りしないでくれる」
「こういうことは、なりきることが大事なんだ。でないと“振り”だとばれるだろう。おまえも俺に惚れている気になれ」
「……」
瞬の気も知らず、氷河は無理な要求を突きつけてくる。
今更そんな気になる必要がないからこそ、瞬は恥ずかしさと虚しさを抑えられずにいるというのに、氷河はそんな瞬の気持ちを全くわかっていない。
瞬は、それが切なかった。


少々ぎこちなさはあったものの 傍目にはデートにしか見えないそれを、瞬は到底楽しむことができなかった。
そんな瞬とは対照的に、氷河は、自分の横に その美貌に釣り合う美少女がいることが 得意でならないらしい。
ひけらかすように広い園内を練り歩いた後、彼は園内にあったティーラウンジの最も人目を引くオープンテラスの席に陣取って、高らかに勝利宣言をしてのけたのだった。

「どうだ。人間共だけじゃなく、パンダやホッキョクグマも、おまえが俺の彼女だということを疑っていなかったぞ!」
氷河の目にはそう見えていたのかもしれないが、瞬の目には、この動物園にいるすべての生き物が(人間含む)自分たちに不審の目を向けているように感じられていた。
得意の絶頂にいるらしい氷河に、自分の正直な意見を言うことは はばかられたので、瞬は沈黙を守り続けたが。

そんなふうに氷河に逆らわない“極めて大人しい彼女”を演じていたのがまずかったのか、すっかり調子に乗った氷河は、このまま二人で 日本一の歓楽街・カブキ町に繰り出すことを、瞬に提案してきたのである。
提案といっても、彼がその考えを言葉にした時、彼の中でそれは既に決定事項になっていたようだった。






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