「氷河が風邪?」
マイナス数十度の世界ででも平気でシャツ1枚でいられる人間が、どうすれば風邪などひくことができるのだろう? ――と思わなかったわけではない。
もちろん、低温が過ぎると 風邪のウイルスも活動できなくなるということくらいは、瞬とて知っていた。
しかし、それは、要するにイメージの問題だったのだ。聖闘士が――それも氷雪の聖闘士が――熱を出して倒れるなど、不自然極まりないという。

が、現実問題として、それはあり得ないことではない。
それでも訝る様子を見せる瞬に、星矢は、「事実は事実なのだから仕様がない」と言わんばかりの態度で言い募った。
「おまえ、仮にも氷河の彼女なんだから、ここは つきっきりで看病してやって、氷河のハートをがっちりモノにするんだよ!」

「ハートをがっちり――とは、今時新鮮な表現だな」
ラウンジの脇にある椅子に腰をおろしていた紫龍が、気負い込む星矢に茶々を入れてくる。
星矢は、仲間のからかいを華麗に無視した。
「氷河はマザコンだし、そういうのにきっと弱いぞ。せいぜい頑張れよ、瞬」
「あの……」
星矢が何を言っているのかが、瞬にはわからなかった。
否、星矢が「頑張れ」と言う行為の内容――つまり、彼が自分に 氷河の看病に努めろと言っていること――はわかるのだが、なぜ星矢がそんなことを自分に言うのかが、瞬にはわからなかったのである。

当惑した目をして 一向に次の行動を起こさない瞬に焦れたように、星矢が声を荒げる。
「“振り”を本物にするチャンスなんだよ! わかるだろ !? 」
「……」
星矢にはっきりとそう言われ、瞬は息を呑んだ。同時に、言葉を失う。
自分の気持ちが星矢に知られていることに困惑し、瞬は、彼にどういう反応を示すべきなのかを迷うことになった。
なにしろ瞬は、これまで自分の気持ちを巧みに隠しおおせているつもりでいたのだ。

「ぼ……僕は別に……氷河の仲間だから、仲間として……」
言い訳のように今更なことを言い出した瞬に、星矢が苛立ったように詰め寄ってくる。
「おまえ、氷河の仲間として、俺に氷河の看病をしろってのか? 元気な時にも我儘な奴なのに、病気になってたら、あの馬鹿は、病人の当然の権利とばかりに、あれしろこれしろって看護人に注文つけてくるに決まってるだろ。俺は、そんな奴を殴り倒さずにいられるほど、人間ができてねーの。ここは、おまえしかいねーんだよ! 四の五の言わずに、さっさと氷河の部屋に行けっ」

大きな声でわめき散らしながら、星矢はほとんど叩き出すようにして、瞬をラウンジから追い払った。
戸惑う瞬の前で、音を立ててラウンジのドアを閉め、ご丁寧に自分の背中でそのドアを押さえつける。
「ほんっと、焦れったい奴等だな」
「しかし、おまえもかなり強引だぞ。瞬は連日氷河にあちこち引きまわされて疲れているようだったし――いや、あれは眠れていないのか……」
どこか生気のない最近の瞬の様子を思い浮かべ、紫龍が少しばかり心配そうな顔になる。

星矢は、だが、自分の強引なやり方を後悔する様も、反省する様子も見せなかった。
「俺は、落ち着かないのが嫌いなんだよ! 右なら右、左なら左、悪党なら悪党、善人なら善人、くっつくならくっつく、くっつかないならくっつかないって、何でもはっきりしててくれないとイライラするんだ!」

青銅聖闘士の中で最も落ち着きのない人間が何を言っているのかと 紫龍は思ったのだが、彼は彼の感懐をあえて言葉にはしなかった。
動いている人間には、自分と同じ速さで移動するものだけが落ち着いて見え、それ以上に速いものや遅いものは、不自然な動きを為しているように見えるものなのである。
人間の目というものは機械のような客観性を持っていないことを、紫龍はよく承知していた。
第三者の目にははっきりと見えているものが、恋をしている者の目には、全く認知されないことも ままあるのだ。
今の瞬と氷河がそうであるように。






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