「氷河、大丈夫? 風邪で熱があるって聞いたけど」 赤頭巾ちゃんを待つオオカミの気分で、ベッドにもぐり込んでいた氷河は、瞬が恐る恐る彼の部屋のドアを開けて顔を覗かせてくるのに気付くと、慌てて目まで掛け布を引きあげた。 「あ、いや、大したことはないんだ」 最近、外出の際はともかく城戸邸内では、氷河はほとんど瞬に避けられてばかりいた。 その瞬が心配顔でオオカミのいるベッドに近付いてくる様を見ただけで、氷河の胸は高鳴ったのである。 その瞬の手が、氷河の額に触れる。 「そんなに熱くはないみたいだけど……」 瞬が怪訝そうに呟き、僅かに首を横に傾ける。 この白い手で他のところを触ってほしいなどという不埒なことを考えた途端に、氷河の身体は かっと熱くなった。 「あれ、やっぱり熱い……かな。お薬飲んだ?」 「薬より、カキ氷が食いたい」 「熱がある時に、そんなもの食べてどうするの。それでなくても氷河は体温調節がへたなんだから、そういう過激なことしちゃだめ」 昨今の世の中には、“なんちゃって鬱”や“なんちゃって境界例”などという、病気ともいえないような病気が蔓延し、社会問題にもなっているという。 なぜ彼等は そんな病を装うのかと、氷河はその手の話を聞くたびに不思議だったのだが、好んで我が身を仮病という病の中に投じる人間たちの気持ちが、今なら氷河にも理解できた。 病人の我儘な要望を叱咤する瞬の声音は、優しく気遣わしげな響きを帯びている。 意識的にしろ無意識的にしろ、その手の偽の病気に罹病する者たちは、他人に優しくされることに飢えている、哀れな者たちなのに違いなかった。 「でも、食欲はあるんだね。よかった。カキ氷は無理だけど、果物でも持ってくるね」 “哀れな”白鳥座の聖闘士に向けられる瞬の眼差しは、ひたすら優しい。 これまでが報われない日々の連続だっただけに、氷河は 思い遣りに満ち満ちた瞬の様子に陶然としかけていた。 が、ここで、「俺は、果物なんかよりおまえが食いたい」などと正直な望みを口にしてしまったら、いくら哀れな病人といえども、瞬に殴り倒されることになるのは必至だろう。 氷河は陶酔に耐えて、懸命に己れの心身の緊張を保とうとした。 一度氷河の部屋を出た瞬が、まもなく、いかにも病人が食べやすいように処理されたリンゴとメロンを載せた皿を持って戻ってくる。 さすがに「あーん」は言わなかったが、横になったままで瞬に給仕をしてもらいながらフルーツを食する行為は非常に感動的で、感動のあまり、氷河の熱は更にあがった。 「あー……。熱なんて滅多に出したことがないんで不安なんだが、俺はこのまま死んだりするようなことはないんだろうか?」 瞬に甘やかされているうちに、段々と“優しくされる病人”を演じるコツがわかってくる。 氷河はわざと気弱な表情を作り、瞬にすがってみた。 「なに馬鹿なこと言ってるの。聖闘士が風邪で死んだりしたら、末代までの恥だよ。大丈夫」 「だが、心細いんだ」 「氷河ってば、今日は本当に子供みたい。僕がずっとついててあげるから大丈夫だよ」 「ほんとか」 「ほんと」 「そうか」 瞬と交わす、そんな他愛のない会話が無性に嬉しい。 その上 瞬は、氷河のベッドの枕許に籐の椅子を引いてきて、 「僕はずっとここにいるから、氷河、少し眠って。ちょっとでも苦しくなったら、すぐに言ってね」 と告げ、それこそ、氷河の遠い記憶の中にいる母親のような笑みまで見せてくれたのである。 氷河は感激のあまり、本気で軽い目眩いを覚えることになったのだった。 |