「多分、あなた方は人違いをしているんでしょう。僕はメスラムの戦場跡で泣いていた ただの孤児で――」
「その『戦場跡』というのを、戦いのあとの焼け野原か何かと思っておいでか。あなたがヘレネスの王にさらわれた場所は、メスラムの都にあった王宮です。おそらく、メスラムの残党の反乱に備えて、人質として利用しようと企んでのことだったでしょう」
「あなたの高貴な出自、メスラムの王としての誇りを忘れてはなりません。あなたは既に、我等の王なのだ」
「……」

シュンにとって『王』とは、そのための教育を受け、その地位にふさわしい胆力と判断力と責任感と忍耐力を養った者だけが就くことを許される特別な“立場”だった。
昨日まで自分を大勢の人間に何の責任も負う必要はないと信じていた者が、その血だけを根拠になっていいものではない。
そんなことが許されてしまったなら、その国の民は不幸になり、ヒョウガの将来を案じる自分の気持ちも無意味だということになる。
ゆえに、彼等の言うことは、シュンにとっては ふざけた たわ言でしかなかった。
しかし、彼等は真顔で続ける。

「これまで居場所を突きとめることができず、シュン様を10数年の長きに渡って、敵国の世話になる屈辱に甘んじさせることになったことはお詫びいたします。が、これは不幸中の幸い、今のシュン様はヘレネスの王にも王子にも容易に近付ける立場におられるとか。父君の仇をとって、祖国をその手に取り戻し、それだけでなく、この国をあなたのものにすることも、現在のシュン様なら可能です」
自分がどこぞの残虐な王の落とし胤だという たわ言なら、一笑に付して忘れることもできる。
しかし、彼等がシュンにさせようとしていることは、到底笑い話にできる種類のことではなかった。

「何を言っているの。僕がメスラムの王の身内だなんて話が、たとえ本当だとしても、そんなことできるわけないでしょう。ヒョウガを殺すなんて!」
シュンの気色ばんだ反駁に、三人の中の新月に似た色の目をした男が、妙な冷ややかさを返してくる。
「では噂は真実ですか。あの能無し王子が幼馴染みの少年を自身の欲望を晴らす道具とし、その代償として、美しいだけの無位無官の少年が この城で勝手放題を許されているというのは」
「ヒョウガを侮辱するなっ! ヒョウガはそんなことしないっ」

ためらいのないシュンの怒りは、三人をひるませるどころか、むしろ安堵させるものだったらしい。
自分たちの主君が敵国の王子と情を通じていたのでは、敵を倒すどころか、シュンの方が愛欲に負けて敵方に取り込まれかねない――と、彼等はそれを危惧していたようだった。
「よくお考えください。あなたは世界の帝王になられる お方なのです」
「先代の王の理想に共鳴し、その実現を期待している者たちの数は五千にのぼる。彼等は皆、あなたが起つ時を心待ちにしているのです」

「五千? この国の軍隊は正規軍だけで5万はいる。平時には国境警備や各地の要所警備、土木工事に携わっているけど、王の命令があれば、全軍を3日で首都に召集することができる。もちろん、正規軍以外で、普段は他の仕事に従事している兵もいるし、すべてあわせれば10万は下らない。その10万の軍にたかだか五千の兵で何ができるっていうの」
「シュン様がこの国の軍備にも精通しておいでなのは、非常にありがたい」

20倍の兵に立ち向かうことの無謀を思い知らせようとしたシュンの言葉は、逆に彼等を奮い立たせることになってしまったらしい。
そして、彼等は、決して無謀をする気はなく、それなりに勝算のある戦いに挑むつもりでいるようだった。
「国はともかく、王宮の制圧はできる数です。王と王子さえいなくなれば――民というものは、指導者を求めてはいるが、それが誰かということには さほど頓着しないものだ。自分に命令を下し、指針を示してくれる者がいれば、それに従うようにできている。あなたが生きているという一縷の希望にすがり、雌伏して時の至るを待ち続けていたメスラムの者たちを、よもやシュン様はお見捨てにはなりますまいな」
「高い理想を掲げていた美しい祖国の復興が我等の願い。理想のために戦う大義と使命感を我等に与えてくれるのは、先の王の血を引くシュン様しかいないのです」

「あなたたちが言っていることは……変だよ」
シュンが抱いていたメスラムの王のイメージと、彼等が語るメスラムの王の姿は、あまりにかけ離れていた。
シュンの中の違和感は、どうしても拭い去れない。
「メスラムの王は、別名『死の国の王』。敵対するものに容赦せず、武力で制圧した国の民は ことごとく惨殺されたと聞いています。冷酷なメスラムの王は、死と恐怖で周辺の国々を従えようとし、誰もが彼を怖れていたと――」

「王は高い理想の持ち主でした。汚れた者たち、欲望にまみれた醜い者たちを粛清し、美しい国を作ろうとしていらした。シュン様はご自分の父君を血に飢えた残虐なだけの人間と思いたいのか」
「その人の理想と目的が事実だったのだとしたら、メスラムの王は、やり方を間違えたんだ。あなたたちも――今は平和だ。なのになぜ、わざわざ戦いを起こそうとするんです」
「現実と理想の乖離がはなはだしすぎるからですよ。勇気をお持ちください。我々がシュン様をお助けいたします。それだけ美しければ、シュン様は十分にメスラムの兵たちを魅了できる。兵たちはシュン様の上に理想を見、喜んで命を投げ出すことでしょう」
「……」

語るに落ちるとはこのこと――と、シュンは思ったのである。
彼等は、シュンに王としての資質など求めていないのだ。
本気でシュンを自分たちの王として戴こうとは考えてもいない。
彼等に必要なのは、先代の王の遺児という飾りとしてのシュンだけで、復興成った国の実権は彼等が握ろうとしているに違いなかった。

見たところ、彼等はまだ若かった。30は超えていないだろう。
彼等の祖国が滅んだ時には、おそらく10代の少年だったはずである。
つまり彼等は、実は先代の王が掲げていたという理想に共鳴してなどおらず、自国が滅んだことで約束されていた地位と名誉を奪われて平和な世を逆恨みし、平和な国を戦乱の巷と化そうとしている愚か者たちにすぎないのだ。
そんな者たちの傀儡かいらいになどなれるわけがない。
まして、そのためにヒョウガの命を奪うことなど、シュンにとっては論外のことだった。

「ともかく、我等はいったん戻って、皆にシュン様のことを報告してまいります。我等の王が生きていたと。我等の王は美しい方、臣下の忠誠と忍耐に感じ入っていたと」
「何を勝手なことを……!」
このまま彼等を自由にしておくと、いずれ彼等はこの国に騒乱をもたらすに違いない。
シュンは彼等を捕らえるために衛兵を呼ぼうとしたのだが、その時には既に彼等の姿は闇の中に溶け込んでしまったあとだった。

未来の王のこと以外に何の憂いもないと信じていたこの国に、とんでもない災厄の種が潜んでいたことを突然知らされて、シュンはひとり、穏やかで暖かな春の夜の庭で、呆然とすることになってしまったのである。






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