シュンがヒョウガの部屋の扉を開けた時、そこには珍しく軽やかなドレスを身に着けた女官たちが幾人もいて、彼女等は、ヒョウガの居間の中央にある単脚の卓の上に置かれた一枚の絵を取り囲み、妙に晴れやかな目をして笑いさざめいていた。 「何? 何かあったの?」 「シュン様には、いつになく遅いお出まし」 シュンは無位無官のヒョウガの侍従の一人にすぎなかったが、周囲の者たちに、未来の国王の意を自由に動かせる唯一の人物と目されていたため、女官たちはシュンの名に敬称をつけるのが習慣になっていた。 彼女たちの シュンの遅い登場をからかう声も 弾んでいる。 ヒョウガだけがいつもより浮かぬ顔で、シュンに尋ねてきた。 彼は、今日も 布地が上等の絹でなかったら、弓を持たない弓兵と見られても仕方のない姿だった。 「具合いでも悪いのか。顔色が悪いぞ」 「ううん。何かあったの?」 「……」 何かまずいことを訊いてしまっただろうかとシュンが危惧するほど――シュンに向けられていたヒョウガの気遣わしげな表情が、あからさまな渋面に変化する。 ヒョウガの代わりに、シュンの質問に答えてくれたのは、王子の部屋にやってきていた女官たちの中の一人だった。 「ヒョウガ様とアスガルドの王女様とのご婚約の話が決まったんですよ」 「陛下は最近、ヒョウガ様に王位を譲るための準備を着々と進めておいでですから、これが最後の仕上げというところでしょうか」 「お可愛らしい姫君でございますよ。シュン様もご覧になって」 示された卓の上にある 広げた祈祷書ほどの大きさの肖像画には、ヒョウガと同じ光の色の髪と空の色の瞳を持った可憐な少女の像が描かれていた。 素直で明るく不幸など知らぬげなその表情を見て、なぜかシュンは ふいに痛いほどの息苦しさに襲われたのである。 似合いの二人だと思うのに、そう思えることがつらくてならない。 「いくらオカワイラシくても、会ったこともない王女だ。相手にも迷惑だろう」 少しもこの祝い事を喜んでいる気配のないヒョウガの声音に、女官たちが不思議そうな顔になる。 ヒョウガが何を言ったところで、この国の王子はヒョウガだけ、他に王族がいないわけではないが、 彼等はみなヒョウガの父王と同じ世代で、この国の王位を継ぐのはヒョウガしかいないのである。 そして、未来の国王には王妃が必要なのだ。 「お……おめでとう、ヒョウガ」 声が震えるのは、この話があまりに突然だったせいで驚いているのだと、シュンは言葉にはせずに女官たちに言い訳をしていた。 「シュン、本気で言っているのか」 ヒョウガが不愉快そうに そう応じるのは、未来の花嫁の存在を知らされて彼が照れているからなのだと、懸命に自分に言い聞かせる。 「本気も何も……。急なことでびっくりしたけど、遅かれ早かれ出る話だし、アスガルドの王女様は優しそうで綺麗な人だし、奥方を迎えたらヒョウガも少しは責任を感じるようになって、貫禄もつくかもしれない。いいこと尽くめだよ」 「シュン……」 何か言いたげなヒョウガの視線を無理に無視して、シュンは女官たちに向き直った。 「ヒョウガに次代の王としての自覚を持ってもらうには、僕ががみがみ言うより、お姫様に優しく諭してもらう方が効果的かもしれないね」 「あら、王女様がヒョウガ様に優しくしてくださるかどうかはわかりませんわよ。シュン様も花のようなお顔立ちで、なかなか厳しい お方ですから、アスガルドのお姫様も案外――」 「ヒョウガ様は恐妻家におなりになるかもしれませんわね」 「たとえそうなったとしても、それを僕のせいにされるのは心外だ」 「では、他の誰のせいだとおっしゃるの」 女官たちやヒョウガの前で笑顔を維持することに精一杯で、シュンは未来の国王に相談しようと思っていたことを彼に告げることができなかった。 |