- II -






衛兵に警備を厳重にしろと命じたにも関わらず、冥界からの使いのような三人は、いともたやすくヒョウガの館に忍び込んでくる。
彼等は本当に闇の中に溶け込む術を心得ているようだった。――人間の弱った心の闇に入り込む術も。

「つまり、ヘレネスはアスガルドとの同盟強化を図っているわけだ。アスガルドの国はヘレネスからは遠い。そして、かの国は名馬と武器の産地。政治的な干渉を受けずに軍事力を強化するのが、ヘレネスの王の狙いでしょうな。では、我々も事を急がねば。両国の関係が密になってからでは、成るものも成らなくなる」

シュンは、重要な国策の秘密を彼等に洩らしたつもりはなかった。
ただ 闇のようにひっそりと、闇のように自然に、
「どうなさったのです」
と彼等の一人に問われ、闇に向かって独り言を呟くように、
「ヒョウガがアスガルドの王女様と婚約したの」
と答えただけだった。
シュンの独り言を聞いた三人は、途端に周囲の空気を緊張させた。

「一刻も早く、機を見てヘレネスの王を倒しなさい。あの出来損ないの王子は、シュン様の奴隷にでもすればいい。ヘレネスの王子は指導力も野心も覇気もない、一国の王より学者か聖職者に向いた男と聞いています。形だけなら王位に就けてやってもいいかもしれない。そうすれば、シュン様は何も失わず、この国とシュン様が欲しいものを同時に手に入れることができる」
「な……何を言っているの」
「お隠しになられることはありません。いくら無骨な軍人と言えども、その青ざめたお顔を見れば、わかります。シュン様は、あの無能な王子がお好きなのでしょう。少なくとも、彼に最も近しい人間でありたいと思っている」
「僕は、ヒョウガのおかげで今まで生きてこられたの。そんなこと、できるわけがない」
「できないことはありますまい。いいえ、しなければ、シュン様は あの王子にもはや用無しと捨てられてしまうのです。何の価値もない一介の孤児として」

闇の中から響いてくる言葉は、シュンの胸を傷付けた。
ヒョウガはそんなことは絶対にしない――と思う。
だが、これまで通り、彼の侍従として この王宮にとどまることができたとしても、彼の最も親しい者、彼にとって最も大切な存在として 彼の隣りに在ることができないのなら、彼の側にいることにどれほどの価値があるだろう。
それは、シュンにとっては、つらいだけの安泰だった。

ヒョウガを他の誰にも渡したくない――。
自分の内にそんな気持ちがあったことに、シュンはこれまで気付かずにいた。
いつもヒョウガのいちばん側にいて、彼に最も大切な者として遇され、二人でいるのが当たりまえだったシュンは、ヒョウガへの独占欲など、これまで意識する必要もなかったのだ。
だが、これまでシュンがいたその場所に、今度はあの明るい瞳をした姫君が立ち、シュンはその場所を追われる――のだ。

「お忘れなきよう。シュン様の肩には、シュン様を唯一の希望として辛苦に耐えてきたメスラムの民と兵の命がかかっているのです。アスガルドとの同盟が成れば、ヘレネス王はメスラムの生き残りたちの殲滅に乗り出すかもしれない。最悪の事態を避けるために――ヘレネス王の命ひとつを この地上から消し去ることで、メスラムの民五千の命が救われるのです。何を迷うことがあるでしょう。ご決意ください」

闇の者たちは、メスラム五千の民の命を守るためという大義名分を持ち出して、シュンに決断を迫ってくる。
その種の決断を為す力を、シュンはヒョウガにこそ持ってほしいと、ずっと思っていた。
その決断ができることが、王の務めであり、王にだけ許された冷酷であり、王であるための資格なのだと。
よもや、その決断を自分が求められることがあろうとは。
シュンは、これまで ただの一度も、王になりたいと考えたことはなかったし、王たる自分を想像したこともなかったというのに。

「どうすれば ご自分が最も傷付かず、失いたくないものを失わずに済むのか、よくお考えください。あの王子をご自分のものにしたいのでしょう? シュン様のご決断は、メスラム五千の民の命をも救うのです」
シュンが闇の誘惑を拒みきれず、だが、彼等の望む決意を為せずにいるうちに、闇からの使いたちは、またしても いつのまにか闇の中に消えてしまっていた。
闇の中に彼等の嘲笑が無音で響いている――。






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