よもや再び別々の人間として目覚めることがあろうとは――。 翌朝、まだ地上に朝の光が現れていない頃、ヒョウガの隣りで目覚めたシュンは、信じられない思いで自らの目覚めを自覚した。 二人は一つに溶け合ったまま、もう二度と目覚めることはないと、昨夜シュンは眠りの淵に引きずり込まれる直前に確信していたのだ。 しかし、現実は、そこまで夢想的にできていないものらしい。 「あのまま、死ねたらよかったのに」 望んでも詮無い望みを小声で呟き、シュンは、ヒョウガとの交接の跡があちこちに残る我が身を見おろした。 やはりこの身体は自分で壊さなければならないらしい。 もちろん、その際には、すべてをすっかり覆い隠し、誰にも何も知られてはならない。 ヒョウガの寝台を抜け出したシュンは、念入りに身仕舞いを整えた。 眠っているヒョウガの姿が視界に入るたび、昨夜の陶酔と歓喜を思い出し、それだけのことで疼き震える自らの身体と心を、シュンは幾度も叱咤した。 王には王の決断があるように、王でない者には王でない者の決断がある。 頼る力とて無い孤児の身で、欲しいものはすべて手に入れた。 この上 何を望むことがあるだろうかと 自らに言い聞かせ、シュンは無言でヒョウガの寝室をあとにしたのである。 10年前にヒョウガが、「シュンは俺が必ず守る」と誓ってくれた庭にあるユキヤナギの木は、今年も純白の花を積もる雪のように咲かせていた。 泣き虫だった子供の頃と同じように、シュンはその花の陰に身を潜ませ、昨日のうちにそこに隠しておいた細剣を手にとった。 白い花を血の色に染めるのは忍びなかったので、思い出の花に背を向ける。 細身の剣の先を喉に押し当てた時、シュンを永遠にヒョウガから引き離してくれるはずの剣は、花の中から現れた人物の手で奪い取られてしまっていた。 「だから、どうしてそんなことをするんだ! 俺は、おまえを死にたい気分にさせるほどへたくそだったのかっ!」 それは、つい先程まで深い眠りの中にいたはずの この国の王子で、彼は彼の本性を隠すのを忘れたかのように、激しい憤りを露わにしていた。 相当急いでシュンのあとを追ってきたらしく、上衣は帯でとめられてもいない。 「目覚めのキスでもしてくれるかと期待して、寝た振りをしていれば、このありさまだ。おまえには風雅の心というものがないのか!」 ヒョウガがわざとふざけたことを言っているのか、本気でシュンの無風流に立腹しているのかは、シュンにはわからなかった。 ともかくシュンは、ヒョウガとヒョウガ以外のすべての人のために、そうすると決めたことをやり遂げなければならなかったのである。 「その剣を返して! 僕がいなくなれば、すべてが丸く収まるのっ」 「収まらない。おまえが死んだら、そんなことになったら、俺もあとを追う。たった一人の世継ぎを失ったこの国は、さぞかし混乱するだろう」 そんな我儘が、ヘレネスの未来の王に許されるはずがない。 何より、“衝動的でなく物静かで穏やか”を売りにしているヒョウガに、そんな子供じみた真似ができるはずがない。 シュンはヒョウガの脅迫を、彼の幼馴染みの決意を鈍らせるための方便にすぎないと思った。 「ヒョウガはそんな無責任なことができる王子様じゃないよ」 「だから、おまえのために、分別のあるオウジサマを演じ続けてきたのだと言ったろう! そうじゃないことはわかったはず。俺は、自分のしたいことをする人間だ。おまえを俺だけのものにして、独占し続けることが俺の望みだ。そして、その通りにする。会ったこともない女と暮らす気になどなれん」 「アスガルドの姫とのことだけじゃなくて!」 ヘレネスの国が抱えている問題がそれだけなら、シュンとて死以外の別の方策を選ぶこともできたのである。 それは、ヒョウガを恋する者の忍耐と沈黙で解決できる問題だった。 光と闇の間に立ちはだかる障害がそれだけであったなら、シュンは間違いなく生きる道を選んでいた。 その道を選ぶことができないから、シュンはこうしてこの場にやってきたのだ。 唇を噛みしめ項垂れたシュンの髪に、ヒョウガの指が絡む。 「メスラムの残党がおまえを担ぎ出して、この国を手に入れようとしていることか」 「ヒョウガ……知って……?」 「知らされたのは、つい昨日だが」 事もなげに、ヒョウガがシュンに頷き返してくる。 知っているのならなぜ止めるのだと、シュンはヒョウガを責めたかったのだが、喉の奥に込みあげてくる熱いもののせいで、シュンは声を発することができなかった。 死ななければならない者を引き止めるという残酷を、なぜヒョウガは平気で為すことができるのか。 シュンはその理由がわからず、ただヒョウガの残酷さが苦しかった。 「本人の意思も確かめずに勝手に決められた婚約など ご免こうむると、昨日、糞親父に文句を言いに行ったんだ。俺はおまえを愛しているから、他には誰もいらないと」 「そんな……ヒョウガが立派な国王になることを期待している陛下に、そんな非常識なこと……。陛下はヒョウガのためを思って、今度のことをお決めになったんだよ!」 「親父は俺の本性を知っているからな。早々に説得を諦めてくれたぞ。その方が姫のためでもあるかもしれないと言っていた」 「まさか……」 王たる者は、民のために決然と決断を下し、一度下した決断を軽々に翻したりはしないもの――と、シュンは思っていた。 が、どうやら一国の王には、臨機応変という美徳も必要であるらしい。 だが、だとしても――ヒョウガの申立てを受けた現国王が、その決定をあっさり覆したという話には、シュンもさすがに しばし唖然とすることになってしまったのである。 ヒョウガ自身は、父王の翻意を当然のことと受けとめているようだったが。 「父は、おまえがメスラムの王子だと言った。おまえは大人しくて控えめな子だが、恋をするには危険な相手だとも」 「……」 「大人しくて控えめ。おまえも本性を見抜かれているぞ」 からかうようにヒョウガに言われ、シュンは顔を伏せた。 ヒョウガのために無理に気を張って過ごしてきた10年。 シュンは本当は今でも、ヒョウガのあとに付いていくのが精一杯の泣き虫の子供のままだった。 何も変わっていなかった。 ――恋を知ったということの他には。 「そして、メスラムの残党が何やら企てている気配があることも」 「ヒョウガ……」 王は国内の不穏な動きに気付いていたらしい。 シュンはその事実に安堵すると共に、晴らしようのない不安と罪悪感を覚えた。 平和な国に、その災厄を持ち込んだのは、他の誰でもないシュン自身だったのだ。 |