とんでもない話を聞かされた二人の青銅聖闘士の内、先に何とか気を取り直したのは紫龍の方だった。 とはいえ、その声はかすれ震えていたが。 「あの客人は――男性に見えますが、実は女性ですか」 「氷河が男性なのと同程度に男性よ」 沙織が、氷河を引き合いに出してきたのは、ある意味当然のことだったろう。 男の氷河が男の瞬の恋人をやっていられるのだから、男の井深電器産業株式会社社長令息が男の瞬の婚約者になれないことはないと、彼女は言いたかったのだ――言いたかったのかもしれない。 無論、社会がそれを認めるかどうかという問題は別として。 「では、いったいどういうことなんです」 重ねて尋ねた紫龍も、実は自らの疑問に真っ当な答えが得られることを期待していたわけではなかった。 現状が真っ当でないのに、現状に至った経緯が真っ当なはずがない。 その真っ当でない経緯を、沙織が語り始める。 「あなたたちは、それぞれの修行地に行く前に、ここで1年間ほど暮らしていたことがあったでしょう。あちらのお祖父様は、私のお祖父様とは剣道の同じ道場のお仲間で、ちょうどあなたたちがここで暮らしていた頃に、お孫さんを連れてここに遊びにいらしたことがあったの」 その『お孫さん』が今日の客人らしい。 聖闘士候補者たちが城戸邸で暮らしていたのは7、8年前のことなので、彼は当時中学生だったことになる。 「彼、この屋敷のエントランスで、それは見事に転んでしまったのよ。その時、彼を助け起こしたのが瞬で、その時の瞬の親切が身に染みたらしくて、彼は瞬をお嫁さんにほしいと申し入れた」 「モーツァルトの真似ですか」 「モーツァルトがアントワネット姫にプロポーズしたのは、彼がまだ6歳の頃のことでしょう。彼は、その時のモーツァルトより歳がいっていて、ずっと世の中の仕組みを理解していたわ。――つまり、彼は、私のお祖父様に『瞬を妻に迎えたい』と申し入れたの」 「実に賢明な判断だ。当時の瞬に、自分の未来の夫を自分で選べるだけの判断力があったとは思えない」 紫龍がもっともらしい顔で頷いたのは、もちろん皮肉からだったのだが、それが沙織に通じたのかどうかは、彼女の表情からは窺い知ることはできなかった。 彼女は その表情を全く変えなかったのだ。 「お祖父様は、その場を取り繕うために、大人になっても気持ちが変わらなかったら ぜひもらってやってくださいと、お返事なさったの。あちらのお祖父様も 瞬が随分お気に召したようで、では二人を婚約させましょうということになったわけ。もちろん冗談だった――と思うけど」 冗談でなかったら大問題である。 瞬の婚約者とその祖父はともかく、城戸翁は瞬が男子だということを知っていたはずだった。 「なんで、城戸の爺さんは、瞬はああ見えても男だって言わなかったんだよ」 紫龍に遅れて気を取り直した星矢が、嫌そうに顔を歪めて、二人の話に加わる。 男子である瞬の婚約者が男性であることには、沙織も一応困っているようだったが、彼女は、星矢のその質問には一瞬の躊躇も見せずに即答した。 「初めて訪ねた家の玄関で すべって転ぶだけでも きまりが悪いのに、その上 見初めた相手が実は男の子だったなんて、そんなことを知らせたら、彼にますます恥をかかせるだけじゃないの。お祖父様の優しさよ」 「……」 沙織の重度のジジコンを思い出した星矢と紫龍が、微妙に口許を引きつらせる。 城戸翁は沙織には“優しいお祖父様”だったかもしれないが、彼は実に見事に瞬の人権を無視してくれたのだ。 「彼は、その約束を忘れずにいて、ここ数年の間に幾度かうちに連絡を入れていたらしいわ。でも、瞬には会えなかった」 「アンドロメダ島で修行中だもんな」 「私がこの件を知ったのは、ついこの間のことなのよ。二人はもう長いこと会っていなかったのだし、婚約を決めた両家の当主は既に他界しているわけでしょう。瞬にもその気はないと思うと言ったのだけど、どうしても一度直接 瞬に会いたいと望まれて……断れなかったの」 「なんで そこできっぱり断らなかったんだよ! せめて瞬は男だって教えてやれば、“ご令息”はここまで のこのこ出掛けてきたりしなかったわけだろ!」 沙織が水際で彼の訪問を食い止めていてくれさえすれば、この場に瞬だけが呼ばれる事態は免れることができたのである。 星矢が沙織をなじるのは当然のことだったろう。 瞬はともかく あの男が、瞬の男の婚約者の存在を知った時、はたして彼はどういう行動に出ることになるのか。 その場面を想像しただけで、星矢はうんざりすることになった。 しかし、沙織には沙織の都合と事情と人情というものがあったらしい。 「お祖父様のお優しさを無にしろというの !? それに、彼は、彼のお祖父様のお決めになった婚約のことを とても重要なことと認識していて、婚約成立のその時からずっと、瞬を自分の未来の妻と心に決めて過ごしてきたのよ。一途に瞬のことを思い、自分には決められた婚約者がいるからと、他に彼女の一人も作らずにこれまできたの。生真面目で誠実な人なのよ」 「誠実なのは結構だが、しかし、いくら誠実な婚約者でも、瞬と結婚はできないでしょう」 なにしろ、常識の持ち合わせが常人の10分の1以下のあの氷河でさえ、それだけは諦めているのだ。 氷河より非常識な人間が この世に存在するとは、紫龍には思えなかった――思いたくなかった。 「それはそうだけど……。『あなたが8年間思い続けていた婚約者は、実は男だったんです』なんて、私にはとても言えな――」 沙織の反駁がそこで途切れたのは、井深電器産業社長令息の婚約者が、ついにこの場にやってきたから――ではない。 彼女がその先の言葉を飲み込んだのは、井深電器産業社長令息の同性の婚約者の同性の恋人の登場に気付いたからだった。 |