瞬は結局 自分が男子だということを彼に知らせなかったのであるから、彼の綺麗な初恋は守られた――といっていいのかもしれなかった。
グラード財団と井深電器産業との事業提携に、この件が亀裂を入れることにはならないだろう。
とはいえ、沙織は最初から井深電器の御曹司の人となりを承知していたようだったし、冷静になって考えてみれば、グラードや井深電器ほどの大企業の関係が、現在はその社員ですらない個人の感情で動くことなど考えられず、彼女は最初からこの結末を予想していたのだったかもしれない。

「ジイさんの決めた婚約だから、こだわってたわけか。つまり、ジジコン同士だから、沙織さんは あのあんちゃんと気が合ってたんだ」
沙織が妙に彼に肩入れしていた理由が、星矢は、今になってわかったような気がした。
気の合う友人の願いを叶えることができ、その上、氷河をからかうのに最適なネタを、あの悪ふざけが大好きな沙織が見逃すはずがない。

「彼の祖父というのは立志伝中の人物で、亡くなった時には新聞や経済誌等でかなりの特集が組まれていたぞ。亡くなった時の個人資産が600億とかいうことでも騒がれていたな。相続税を払っても、まだ数百億は残っているだろう。他に両親の財産も相当あるだろうし――」
「瞬は、その数百億より、一文なしの氷河の方がいいわけなのか?」
瞬ではなく、一文なしの氷河の方を見やりながら、星矢が尋ねる。
一件落着して怒りが治まった途端、今更ながらに自身の境遇に引け目を覚えることになったのか、あるいは瞬を失わずに済んだことで満足したのか、氷河は、星矢の皮肉に嫌味の一つも返してこない。

そして瞬は、星矢の素朴な疑問を一笑に付した。
「お金なんて……。その気になったら、僕ひとりででも、氷河くらい養っていけるのに」
「そりゃまあ、おまえはブルドーザー1台分くらいの仕事は片手でできるし、外国語も5、6ヶ国語分はいけるし、いざとなったら、そのツラとカラダで何をしてでも稼げるよな」
「僕が好きなのは氷河だから。どんなにいい人でも、どんなに強い人でも、あの人は氷河じゃない」

星矢と紫龍は、瞬は氷河のどこがそんなにいいのかと思わないでもなかったのである。
だが、それが恋というものだろうと、彼等は無理に納得した。
瞬ひとりにしかわからない良さが、氷河にはあるのだろう。
それは瞬ひとりだけが知っていればいいことで、彼等は それが何なのかを知りたいとも思わなかった。






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