北に向かった氷河からは、ずっと連絡が入らなかった。
通信衛星経由で いつでもどこからでも仲間たちの許に連絡を入れることができるはずの氷河から、何の連絡もないまま1週間。
『便りのないのは良い便り』を地でいく氷河の不精を知っている彼の仲間たちとアテナは、最初のうちは、知らせるほどのトラブルも報告するほどの発見もないからなのだろうと、彼からの連絡がないことを全く心配していなかった。

瞬に至っては、
「どうせ、どっかのお姫様に粉をかけてるとか、どっかの教主様に洗脳されてるとか、そんなとこでしょ。氷河、前科持ちなんだから」
と、氷河の過去の悪行を持ち出して、その場にいない仲間を責め始める始末である。

しかし、シベリアからの連絡が全くないまま半月が過ぎると、さすがに沙織は不安になったらしく、彼女は後続部隊の派遣を決定した。
それでも意地を張り続ける瞬を日本に残し、今度は 紫龍と星矢の二人が氷河を追ってシベリアに向かうことになったのである。
一人だけ日本に残り、仲間からの連絡を待つこと数日。
氷河や星矢だけならまだしも、紫龍が一緒だというのに日本に何の連絡も入らないことに不安を覚え始めた瞬が、何か理由を見付けて北へ行こうと考え始めた頃、やっと星矢から城戸邸の瞬の許に連絡があった。
携帯電話の着信に星矢の名を見た時、瞬は、それまで自分が極度の不安と緊張に囚われていたことを初めて自覚したのである。

「氷河が見付かった」
「無事なのっ !? 」
噛みつかんばかりの勢いで星矢を問い質してから、瞬は、慌てて平静を取り繕った。
「どうせ、どこかで呑気にふらふらしてたんだろうけど」
心にもない言葉というものは、どうしてこう簡単に口をついて出てくるのだろう。
本当の気持ちを伝えようとした時、言葉はいつも 腹立たしいほど扱いにくい道具なのに。
本意に反した憎まれ口をすらすらと吐き出す自分自身を、瞬は奇異に感じずにはいられなかったのである。
そんな言葉を口にすることは、その言葉を聞く者だけでなく、その言葉を吐く者をも不快にするだけなのだということは、瞬にもわかっていた。

星矢は、瞬の雑言に呆れた様子も見せなかった――感じさせなかった。
代わりに、沈痛な声で、
「――無事じゃない」
と、呟くように言う。
星矢らしくない暗い声音に触れた瞬は、自身の苛立ちも、言葉という道具の不器用さも、瞬時に忘れることになった。

「氷河……怪我でもしてるの……?」
「いや、とにかく沙織さんと一緒にこっちに来てくれ。……そんなに急がなくていいから。こっちはまだ春には遠いし」
「え?」
瞬が問い返した時には、星矢からの電話は既に切れてしまっていた。
電波の調子があまり良好ではないらしい。
それが、まるで仲間に事実を伝えることを、星矢だけでなく、彼を取り巻く世界のすべてが嫌がっているように、瞬には感じられたのである。

星矢の声には、いつもの明るさも、弾むような抑揚も全くなかった。
電話を切ってから、瞬はしばらく、その場に立ち尽くして、星矢の言葉の意味を考えていたのである。
重苦しい悪い予感が胸に広がり、そのせいで、思考の活動が妨げられ、いつもの半分も考えが進まず、まとまらない。
『急がなくていい』というのは、氷河の怪我が重傷で明日をも知れない瀕死の状態ではない――ということなのだろう。
ます、瞬はそう考えた。無理に、そう考えた。
だが――考えたくはないのだが――星矢の言葉には、もう一つの可能性がある。
1時間後の氷河と1週間後の氷河との間に何も変化が生じない場合、瞬が彼の許に急いで駆けつけることには何の意味もない――という可能性が。






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