塔の裏口を出たところに、2頭立ての軽装馬車が停まっていた。
ヒョウガは一瞬ひやりとしたのだが、御者台にいるのが 役人や お仕着せを着たどこぞの家の使用人ではなくスカートを穿いた女だということに気付くと、彼はすぐに その緊張を解くことができたのである。
この町の女たちは、身分の上下を問わず、大抵ヒョウガには好意的だった。

「忍耐の限界という顔をしていたから、今日明日にでも決行するだろうと踏んでいたの。使って」
御者台にいたのは、この町いちばんの娼館の女将だった。
不粋な子供のヒョウガと違って、苦労人の彼女は、粋で気が利いている。
ヒョウガが何か言う前に、彼女は勢いよく御者台から飛び降りた。
「お偉いさんからの依頼で、どこぞの町に女を運ぶのだと言って金を掴ませれば、町の門は簡単に開くわ」
「女将……」

ヒョウガは彼女に心からの感謝を伝えようとしたのだが、彼女はそんなものは全く欲しくなかったらしく、軽く片手をあげてヒョウガを制した。
ヒョウガに抱きかかえられてるシュンを見て理由を察したらしく、わざと呆れたような表情を作って、シュンの顔を覗き込む。
「まあ、この大事な時に、随分たくさんの罪を犯したようだこと。天使様相手に、ヒョウガはうまくできたの」
シュンが、ヒョウガの腕の中で身体を縮こまらせ、ぱっと頬を染める様を見て、女将は微かに寂しげに、だがはっきりとした笑みを浮かべた。

「とりあえず、ポテンツァの町に行って。町の門を入って最初の橋のたもとに白い壁の館があるわ。そこの女主人に話をつけてある。信用できる人よ」
「娼館か」
「そんなところに天使様を連れて行くのは罰当たりかしら?」
「いや、助かる」

シュンを座席に座らせると、ヒョウガは御者台に移動し、2頭の馬を操る手綱をとった。
ある時には年上の恋人であり、ある時には共に世を拗ねる同志であり、いつの時にも姉か母のように優しかった女性に 感謝の視線だけを投げて、ヒョウガはモンテ・コルヴィノの町を出ることのできる唯一の門に向かって馬を走らせた。
女将の言った通り、町の門はヒョウガとシュンのためにすぐに開かれ、その瞬間にヒョウガはモンテ・コルヴィノの名を捨てることになったのである。






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