突然、あまりにも突飛な名詞が かつてのノーベル賞候補の口から飛び出てきたせいで、星矢と紫龍は一瞬 思考が停止してしまったのである。
止まった思考を再稼働させるまでに、彼等は優に1分強の時間を要した。
そうして、1分後。
紫龍の声音は、下手なギャグを無理矢理聞かされてうんざりした人間のそれになってしまっていた。

「瞬は、この手紙のどこにも、血を吸われたとは書いていませんが。そういう冗談は、しかるべき時と場所を選んで言っていただきたい」
紫龍の突き放すような態度とは対照的に、“医師の良心”四万十川教授は、だが、どこまでも真剣である。
否、彼は熱狂的ですらあった。

「吸血鬼には、吸精鬼や吸魂鬼と呼ばれる精神的吸血鬼、いわゆるサイキック・ヴァンパイヤというものが存在するのだ!」
「サイキック・ヴァンパイヤ……」
四万十川教授の発言は、いよいよ常軌を逸していく。
元ノーベル生理学医学賞候補の眼前で、星矢と紫龍は遠慮なく顔を歪めた。

科学の信奉者であるはずの学者の中にも、オカルティストやゴシックホラー・マニアはいるだろう。
彼の知っている症例が載っていた医学論文集というのは、ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』か、シェリダン・レ・ファニュの『カーミラ』か、あるいはテオフィル・ゴーティエの『吸血女の恋』、 はたまたアン・ライス『ヴァンパイア・レスタト』のシリーズなのか、それは紫龍たちにはわからなかったが、いずれにしても、それらの書籍の主な読者が医学者たちでないことは確実だった。

「吸血鬼は、伝説や作り話の中にのみ存在するものではないのだ。遠くは古代ギリシャの『フィリゴン』の例から、20世紀の吸血鬼と呼ばれたジョン・ジョージ・ヘイまで、一概に作り事だと断じてしまえない報告例は腐るほどある。よしんば、過去の報告例がすべて事実ではなかったとしても、生物の遺伝子は永遠に変化を続けるもの。伝説の吸血鬼と同じ体質を形成する遺伝子の持ち主が生まれることがないとは、誰にも言い切ることはできない」
利根川大学生理学部教授――もとい、ゴシックホラー・マニアの四万十川氏の口調は、いよいよ熱を帯びてくる。
しらけ始めた星矢と紫龍に向かって、彼は更に言い募った。

「日光を恐れ、夜にのみ活動し、人の血液から活力を得、寿命のない体細胞を持ち、その眼力で対峙する人間を陶然とさせ、抵抗力を奪い、死をも恐れないほどに魅了してのける悪魔的人間。いないはずがないんだ。いや、絶対にいる!」
本物の吸血鬼とゴシックホラー・マニア。
そのどちらかと闘わなければならなくなったら、その時には自分は必ず本物の吸血鬼との対戦を選ぶ。
アテナの聖闘士二人は、四万十川氏の熱弁を聞きながら、そう思っていた。

「瞬くんの書いた文章を読めば読むほど、それは、吸血鬼が仲間を増やすための活動をしている場面の描写としか思えないんだ。吸血行為は、犠牲者に性行為以上のエクスタシーをもたらすものだと聞いている。私はぜひ、瞬くんにじかに話を聞きたい。そして、瞬くんを襲った吸血鬼に何としてでも会いたいのだ……!」
真理の探究に燃える偉大な学者先生は、彼の目的が果たされるまではテコでも動かない構えを見せていた。






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