迷宮からの脱出






氷河が誰にでも愛想がよく親切な男だとは、星矢も思っていたわけではない。
しかし、瞬に対する時だけは当たりがやわらかく、どこか甘えにも似た気安さのようなものを、態度の端々に垣間見せているとは思っていたのである。

そして、瞬は対人関係においては、強く我を張るタイプではない。
もし氷河が子供じみた反抗心を剥き出しにして当たっても、瞬はそれをやわらかく受けとめてしまう人間なので、自然にそういうことになっていた――という部分もあるだろう。
いわゆる、暖簾に腕押し、糠に釘。

瞬は元来、対峙する者に、反抗期の子供のように尖った態度で接することを無意味に感じさせてしまうような人間だった。
その上、子供の頃から その不器用さで人と衝突してばかりいた氷河は、そのたび瞬に場をとりなしてもらっていたし、十二宮の闘いでは命を救われ――要するに氷河には、瞬に強く出ようにも出られない恩があったのだ。

なにより氷河は瞬に対して特別な感情を抱いていて、こういうことでは妙に小利口な氷河は、好きなものを嫌いと言って相手の気を引こうとするような愚行に走ることもなかった。
星矢や紫龍には些細なことで突っかかり、嫌味や皮肉を言い、気分によっては見事にその存在を無視してのける氷河も、瞬に対しては一貫して好意的な態度を――特別に好意的な態度を――通していたのである。

それが豹変したのは、ポセイドンとの戦いの直後だった。
十二宮の戦いで師を、ポセイドンとの戦いで兄弟子を、自らの手で倒し、氷河は少々厭世的になっていたのかもしれない。
だが、それならなおさら自分の不運を瞬に甘える理由にし、いっそその傷心を 瞬の同情と愛情を得るための手札として活用すればいいのにと、星矢などは思っていたのである。
しかし、氷河は瞬に対して全く正反対の態度を示し始めた。
ポセイドン戦後のある日を境に、氷河は、瞬に甘えるどころか、瞬に対してひどく冷淡な態度をとるようになってしまったのである。

二人の間に漂い始めた よそよそしさを、星矢は最初 ただの喧嘩によるものと思い、珍しいこともあるものだと、さほど深刻に考えてはいなかった。
どうせすぐに氷河が折れることになるに決まっているのだから、わざわざ仲介の労をとるのも馬鹿らしい――と、その異常事態を彼は至極軽く考えていたのである。
しかし、二人の関係は一向に旧に復することなく、ぎくしゃくしたまま1週間が経過。
ここに至って星矢はやっと、この状況が軽い喧嘩による尋常の仲たがいではないことに気付いたのだった。

瞬を無視しているのは氷河の方だった。
そんな氷河を、瞬は気弱な目をして見詰めている。
その瞳には、氷河を責める色は全くない。
信じ難いことではあるが、もしこれが瞬の方に非がある喧嘩なのだとしたら、いつものように すみやかな解決は望めないかもしれない――と星矢は思った。
なにしろ、許す立場にある人間が、意地を張るということを知らない瞬ではなく、その真逆の性質を有する男なのだから。
氷河は、徹底して瞬を無視していたかと思うと、ふいに詰まらないことを瞬に命じて暴君のように瞬を自分の意に従わせたりと、傍若無人の限りを尽くしていた。






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