「何かあったのかな。俺、そろそろ氷河が瞬に告白する頃かと思ってたのに」
今日も今日とて朝から周囲に険悪な雰囲気を漂わせている二人の様子を眺めながら、星矢が一人言のように呟く。
「男が男に何を告白するというんだ」
仲間の呟きを耳にした紫龍は、おもむろに顔を歪めた。

「そりゃ、今さら『好きです』も何もないだろうから、男同士でもいいかとか、職場恋愛は平気かとか、確かめておかなきゃならないことは色々あるだろ」
「……」
紫龍が渋面を作るのは、彼がそういう性的嗜好の持ち主に偏見を抱いているからではなく、ひとえに『瞬の相手が氷河である』という事実を素直に歓迎する気になれないからだった。
もし白鳥座の聖闘士とアンドロメダ座の聖闘士がそういうことになってしまったら、氷河のような気分屋の男に振り回されることになる瞬の苦労が目に見えていると、彼は仲間の将来を憂えていたのである。

「瞬。おまえ、氷河と何かあったの」
ともかく、仲間の二人がぎくしゃくしていると、一緒にいる者たちは何かと居心地が悪い。
二人にはそろそろ仲直りをしてもらわなければならないと考えた星矢は、二人の仲を取り持つために重い腰をあげることにした。
とはいっても、もちろん彼は、本当に腰掛けていたソファから立ち上がったわけではなかったが。

そこに、それまで同じ部屋に瞬がいることをあからさまに無視しているようだった氷河が、ふいに割り込んでくる。
そうして彼は短く低い声で、だが傲然と瞬に命じた。
「星矢と口をきくな」
「……」

瞬が星矢にどう返答するつもりでいたのかは定かではないが――何か答えたにしても、「そんなことないよ」程度のものだったろうが――瞬は、氷河の命令にすみやかに反応した。
つまり瞬は、星矢に対して何ごとかを告げようとしていた口を固く引き結び、同時に、彼に向けていた視線を困惑したように自らの膝の上に落としてしまったのである。

氷河の偉そうな態度にカチンときたのは星矢である。
二人の間に何があったのかは知らないが、星矢は、氷河と瞬のために、二人を仲直りさせようとして、わざわざ火中の栗を拾うべく、その手を差し延べようとしたのである。
仲間の親切を排斥しようとする氷河の態度が、星矢の気分を害さないわけがない。

「なんだよ、それ」
「言った通りだ」
「瞬にそんなこと命じる権利はおまえにはないだろ」
至極真っ当かつ正当な星矢の意見を、氷河が鼻で笑う。
それから彼は、ゆっくりと瞬の方に視線を巡らせ、重ねて瞬に命じた。
「いいか。これは俺の命令だ。おまえは今この瞬間から、金輪際 星矢とは口をきくな。紫龍ともだ。ああ、それから、一輝。今度おまえの兄が城戸邸に戻ってきても、おまえは一切奴の相手をするなよ。口をきくことも、顔を合わせることも許さん。おまえが見てもいいのは俺だけ、口をきいていいのも俺だけだ」

星矢は、氷河の理不尽極まりない言い草に呆れ果て、持ち上げかけていた腰を どっかと元の場所に戻したのである。
瞬は人と対立するようなことは滅多にしないが、正しいものは正しい、誤っているものは誤っていると、自分の意見を言うことのできる人間である。
瞬に直接注意された方が、氷河も己れの我儘振りを より深く反省することになるだろうと、星矢は考えたのだった。

だが、彼が期待した叱責の言葉は、いつまで待っても瞬の口から発せられることはなかった。
瞬はいつまでも その目を伏せていて、一向に氷河の傲慢を責めようとはしなかったのだ。
瞬のその様子を、星矢は――当然、紫龍も――大いに訝ることになった。
もしかしたら氷河は、既に瞬に恋の告白というものを済ませて、その上で瞬への独占欲を大っぴらにし始めただけなのかもしれないとすら、彼等は考えたのである。

だが、それにしては、二人の間には甘い雰囲気はかけらほどにも漂っておらず、二人はむしろ以前よりよそよそしい。
瞬は腫れ物に触れるように氷河に接し、氷河は瞬の存在など視界に入っていないかのように振舞い、たまにその存在を認めたとしても、それは瞬を傷付けるためだった。
もちろん、二人で出掛けることもなければ、同じ部屋で就寝することもない。
氷河と瞬の現況は、一方的に瞬が氷河に弱みを握られ、氷河が脅迫者の傲慢を発揮している――としか思えない状況だったのだ。

しかし星矢は、そんなことに――瞬が氷河の傍若無人を咎めないことなどに――驚いている場合ではなかったのである。
真に驚くべきことは、そのあとにやってきた。
真に驚くべきこととは、すなわち、あろうことか瞬が氷河の命令に従って、その日その時から仲間たちと本当に口をきかなくなってしまった――という事実である。
氷河のようにあからさまに仲間を無視するようなことはしなかったのだが、それでも瞬は、確かに氷河の命令に諾々と従い始めた。
極めてさりげなく、不自然にならないように仲間との接触を避け、どうしても何らかの意思表示が必要な場面では、身振りや表情を言葉に代えて、瞬はそれをするのだった。

星矢と紫龍は、あっけにとられてしまったのである。
彼等は本当に、心から驚いた。
そして、瞬がなぜそこまで氷河の横暴な命令に従うのか、彼等にはその理由がどうしてもわからなかったのである。

氷河はといえば、彼は瞬が自分に従順でいることすらも気に入らないでいるようだった。
瞬が彼の命令に絶対服従の態度を示しても、氷河の機嫌が好転することはなかった。
彼は相変わらず不機嫌で、いつまでも その目を怒りと苛立ちでぎらつかせ続けている。

氷河が『瞬の従順にも機嫌を直さない』のではなく、彼は『瞬の従順にこそ苛立っていた』のだということを星矢が知ったのは、それから数日が経ったある日の午後のことだった。






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