廊下の壁にもたれ呆然としていた星矢を我にかえらせたのは、氷河が立ち上がった気配だった。
ほとんど着衣のまま瞬への暴行に及んでいた氷河が、自分の為した行為の結果を その目で直視しようともせずに、瞬に背を向ける。

星矢は素早くラウンジのドアの側を離れ、急いで隣りの部屋に移動した。
平生の氷河なら、そこに何者かが潜んでいることに気付かないはずはなかったろうが、今の彼は常の彼ではない。
それは星矢も同じだったのだが、ともかく氷河は、そこに仲間が身を潜ませていることに気付くことなく、星矢の前を素通りして自室の方へ歩いていってしまった。

瞬を無理矢理犯した男の横顔に、後悔の色は見い出せなかった。
むしろ彼は、抵抗らしい抵抗もせずに大人しく犯された相手に腹を立てているような目をして、苛立ったような足取りで、星矢の前を通り過ぎていってしまったのである。

ラウンジのドアは開け放たれたままだった。
瞬の身を案じて、星矢は恐る恐る中に入ってみたのだが、彼は室内に2、3歩足を踏み入れただけで、そこから先に進めなくなってしまった。
そこには まさに“正視に耐えない惨状”があり、星矢には、瞬に近付くことが、他の誰でもない瞬のために できなかったのである。

瞬はほぼ全裸だった。
白いシャツブラウスの片袖だけが、かろうじて左の手首に引っかかっていて、剥き出しになっているもう一方の腕はソファから力無く垂れ下がり、指先が床に触れている。
左の脚は、尋常の仰臥の状態にしては どこか不自然に曲がっているように見えた。
目は開いているようだったが、焦点が合っておらず、それはぼんやりと虚空に投げられている。
他の衣類は床に散らばり、その持ち主同様 その場に打ち捨てられていた。

星矢は、咄嗟に、瞬の仲間はこの悲惨な場面を見なかった振りをした方がいい――と思ったのである。
時折思い出したように、瞬は瞬きをしている。
ともかく瞬は生きていて、その身体は生きるための最低限の活動はしているのだ。
星矢は、音を立てぬように後ずさり、音を立てぬようにラウンジを出、音を立てぬように細心の注意を払って そのドアを閉じた。

見なかった振りをするにしても、そのまま瞬を見捨てることもできず、事情を知らない第三者が室内に入り、今の瞬の姿を見て驚くことがないように、ラウンジのドアの前に見張りに立つ。
幸い誰も来ないまま30分ほどの時間が過ぎ、その頃になってなってやっと、ラウンジのドアの向こう側で瞬が身体を起こす気配がした。
星矢が慌てて、再び隣りの部屋のドアの陰に隠れる。
(なんで、俺がこんな こそ泥みたいな真似しなきゃなんねーんだよ!)
この怒りを誰に向ければいいのかもわからぬまま、星矢はじりじりしながら瞬の次の行動を待つことになったのである。

ラウンジのドアが内側から開けられたのは、それから更に10分後。
すっかり元の通りとは言えないのだろうが、傷付いた身体を衣服で覆い隠した瞬が、そのドアから廊下に出てくる。
氷河がそうだったように瞬も、そこに星矢がいることに気付いた様子もなく、ひどく頼りない足取りで星矢の前を通り過ぎていった。
それでも仲間の身が心配だった星矢は、瞬が自室に辿り着くまで気付かれぬようにあとをつけ、瞬が彼の部屋のドアを閉めるのを確認してからやっと、安堵の息をつくことができたのである。

瞬とどう接すればいいのかが、星矢にはわからなかった。
へたに慰めの言葉をかけたりすれば、氷河と瞬の間に起こったことを知っていることがばれ、瞬を更に傷付けることになるかもしれない。
しかし、無為に時の過ぎるのを待っているようなことは、その性格上、星矢にはできなかった。

結局星矢は、今の自分にできるのは、瞬に乱暴を働いた男を糾弾することだけだという事実に思い至り、自分にできることをするために、氷河の部屋へと向かったのである。
星矢が向かった暴行者の部屋には、先客がいた。






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