「最近の瞬に対するおまえの態度は感心しない。おまえが瞬と仲たがいするのは勝手だが、俺たちにまでとばっちりをくわせるな! おまえのせいで、なぜ俺が瞬に避けられなければならないんだ!」
先客は、氷河と瞬の間に何があったのかは知らず、最近の氷河の言動にクレームをつけに来ていただけのようだった。
二人の間に起こったことを知っている星矢の怒りとは次元が違いすぎるが、紫龍の怒りもまた当然のものだったろう。
なにしろ、紫龍より紫龍好みに烏龍茶をいれることができるのは、この城戸邸では瞬だけなのだ。
お茶が美味しいのと不味いのとでは、日々の生活の充実度が違ってくる。

「部外者が余計な口出しをするな。瞬がそれでいいと言っているんだ」
紫龍のクレームに対する氷河の返答は、素っ気ないほど冷淡だった。
自分が瞬にしたことを省みれば、冷静でなどいられないはずなのに、その口調には澱みもなければ ためらいもない。
それが、星矢の怒りを加速度的に増大させたのである。
手で開きかけていたドアを足で蹴りあげ、星矢は氷河の部屋に飛び込んでいった。

「いいわけないだろっ! 瞬がおまえに何をしたのかは知らないが、たとえ何があったって、瞬があんなことされていいわけないっ!」
「あんなこと?」
突然の闖入者の剣幕に驚いたのは、氷河ではなく紫龍の方だった。
氷河は無言で、眉ひとつ動かさない。

反省の色のない彼の態度をじかに その目で見ることになり、こめかみを引きつらせることになったのも、氷河ではなく星矢の方だった。
氷河は、まるで人間らしい心を誰かに抜き取られでもしたかのように、どんな表情も感情も、彼の仲間たちに示さなかった。
それが星矢の怒りに拍車をかける。

「こいつ……この野郎は、たった今、瞬にひどいことしやがったんだ!」
「ひどいこと――とは」
「言えるかっ!」
「……」

『氷河は瞬に殴る蹴るの暴行をした』という次元のことを考えてもよかったのに――むしろ、その方が常識的な考え方だったのに――、星矢の言う『ひどいこと』がどういうことなのかを紫龍が正しく察することができたのは、常日頃から瞬を見詰める氷河の瞳の中にあったものを、彼が明確に把握していたからだったろう。
しかし、それが『ひどい』やり方で行動に移される可能性を、紫龍は考えたことがなかったので、星矢の告発は、龍座の聖闘士にとっても驚天動地の事実だった。
それが あまりに思いがけないことだったので、紫龍の口からは氷河を責める言葉も出てこなかったのである。
激しい怒りのせいで興奮状態にある星矢とは対照的に、紫龍の声は、逆に落ち着いたものに変わっていった。

「俺は――俺たちは、おまえは瞬を好きなのだとばかり思っていたが」
「……」
「違ったのか」
紫龍の口調に責める色がないことに、星矢は苛立った。
好きなら何をしても許される――という法はない。
そんな“今となってはどうでもいいこと”を確かめて何になるのだと 星矢は思い、彼は、紫龍の呑気さにまで腹が立ってきてしまったのである。

しかし、その“今となってはどうでもいいこと”は、氷河にとっては何よりも重大なことであり、紫龍の呑気な一言は、氷河にとっては何よりも痛烈な一撃だった――らしい。
「俺の勘違いだったか」
答えを返してよこさない氷河に、紫龍が呟くように言う。
その気持ちを否定されることは、氷河には耐え難いことだったらしく、この段になってついに、彼はその瞳に苦渋の色をにじませた。
そして、両の肩から力を抜く。

氷河のその様子を見て星矢は初めて、氷河はこれまで必死の思いで虚勢を張り続けていたのだという事実を認めることになったのである。
おそらく瞬に対する彼の態度が豹変した頃からずっと、氷河は、立っているだけで精一杯の我が身を、渾身の力を振り絞って保ち続けていたのだ。
だが、紫龍の呑気な一言で、彼の力は尽きてしまったらしい。
足許が覚束なくなり、ぐらついた身体を肩から壁に打ちつけ、氷河はそのままずるずると床にすべり落ちていってしまった。

「氷河……おい……」
その場で誰よりも怒りに燃えていたはずの星矢が、床に崩れ落ちてしまった仲間に心配顔を向ける。
だが、氷河はその顔をあげようともしなかった。
力ない様子で床にへたり込み顔を俯かせたまま、彼は低く くぐもった声で、覇気なく彼の苦衷を語り始めたのである。






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