一見したところでは、みなが仲良く平和な聖域。 そこにやってきたのが、不和の女神エリスでした。 彼女は平和というものが大嫌いな女神です。 でも、彼女を責めてはいけませんよ。 不和の女神が平和を大好きだったなら、彼女は自分が不和の女神として存在することの二律背反に苦しむことになっていたでしょう。 アテナが、『平和を愛する戦いの女神』などという矛盾に耐えることができているのは、彼女が数あるギリシャの神々たちの中でも特に卓越した神だからなんです。 アテナほど卓越していない他の神々は、愛の女神は愛情至上主義、婚姻の女神は婚姻関係を維持する力である貞節至上主義、泥棒の神は窃盗行為至上主義といったように、至極単純な価値観に従って それぞれの活動を行なっていました。 不和の女神エリスは、当然 不和至上主義でした。 誰かと誰かが仲良く平和に暮らしているのを見ると不愉快になって、彼等の間に波風を起こしたくなるのです。 となれば、聖域に何が起こったのかは大体察しがつきますね。 平和のために戦う聖闘士たちが(一見)仲良く暮らしている聖域。 不和の女神エリスは、そこで(一見)和気藹々と暮らしている聖闘士たちの様子を非常に不愉快に思いました。 その不愉快な気持ちに命じられるまま、彼女は、アテナの聖闘士たちを混乱の渦の中に投じてやれとばかりに、彼等に呪いをかけたのです。 つまり、「彼等全員、それぞれの守護星座の動物になってしまえ!」という、恐ろしい呪いを。 彼女は地上を治めているアテナに成り代わって この世界を支配したいと考えたのではなく、ただただ(一見)平和な聖域を不和の空気で覆い尽くしたかっただけでした。 ですから、彼女は聖域を支配するアテナには見向きもせず、(一見)仲の良い聖闘士たちを混乱に陥れるための呪いをかけたのです。 思わぬトラブルが起こった時、人は本性を出すと言いますからね。 エリスはもちろん性善説の信奉者ではありませんでしたから、これで聖域は大混乱、思いがけないトラブルに見舞われたアテナの聖闘士たちは、その心を苛立たせ、思い遣りの気持ちを失って、互いに憎み合うようになるものと、彼女は信じていました。 ところで、不和の女神エリスは、不和を熱愛する一方で、非常に自己顕示欲の強い女神でした。 彼女は、聖域を大混乱に陥れるという大事業を達成したのは自分であると、人々にアピールせずにはいられなかったのです。 ですから、彼女は、彼女が呪いをかけた聖域に降臨し、アテナの聖闘士たちに呪いをかけたのは不和の女神エリスであること、この呪いを解くためには、世界の果てにあるヘスペリデスの園にある黄金のリンゴを食べなければならないことを、誇らしげに喧伝しました。 黄金のリンゴを手に入れるためには神の力を借りてはならないこと、リンゴのあるヘスペリデスの園には呪いをかけられた当人たちが自分の足で赴かなければならないこと等の諸注意まで、彼女は彼女の犠牲者たちに得意げに公言してみせたのです。 彼女は、ある意味、とても親切な女神だったと言えるでしょう。 そして、彼女は不和を愛しているだけで、悪党としては小物だったとも言えます。 巨悪を成す者は、それを成した者が自分であることを人に知らせようとはせずに、陰でひっそりと北叟笑むものなのです。 そういう人間や神は、自分の(悪の)力の強大さを確信できているので、わざわざ他者に対して いきがる必要を感じないのです。 その点、エリスは悪党としては小物、かつ、かなり迂闊な女神でした。 呪いがエリスのよるものと知らされた呪いの犠牲者たちは、犠牲者同士の間に不和を生むことなく、呪いをかけた女神当人を恨むことになりますからね。 もちろん、アテナの聖闘士たちは、同じ呪いの犠牲者である仲間を恨むことなく、突然我が身に理不尽な呪いを降りかけてきたエリスの所業を憎みました。 (一見)仲のよかった彼等の間に、新たな不和が生まれることはなかったのです。 もちろん、だからといって、彼等がその状況を喜んで受け入れたわけではありませんでしたけれど。 |