それはともかく、この事態は瞬が泣いても好転するものではありませんでした。 それがどんな状況であれ、問題は涙では解決しないものです。 氷河と瞬の間にぎこちなさが漂う中、アテナの聖闘士たちは彼等が今できることに取り掛かり始めました。 つまり、アテナの用意してくれたネットの上にお姫様である瞬を乗せ、2頭と2羽の獣たちがネットの四方の端をそれぞれ口にくわえて、彼等はこの世界の果てにあるというヘスペリデスの園に向かって飛び立ったのです。 星矢たちは、そうしようと思えばいくらでも速く飛ぶことができたのですが、そんな飛び方をすると、今は か弱い瞬の身体が風圧に耐えられそうになかったので、彼等の空中飛行は比較的ゆっくりしたものになりました。 その上、空を飛んでいる間、星矢たちは口にネットをくわえているせいで 絶対に口を開けませんでしたので(これは結構苦しいものです)、彼等は日に何度かは地上におりて休憩をとりながら、旅を続けることになったのでした。 想像してみてください。 ペガサスと龍と不死鳥と白鳥が、ネットの上に乗せられたお姫様を運んでいる図を。 それは とてもとても異常で珍妙な光景です。 当人たちも それはわかっていましたので、彼等はなるべく人がたくさんいる町の上を避けて飛ばざるを得ませんでした。 大きな町があったら、そこは迂回して、多少遠回りになっても人の少ない山や草原の上を選んで、彼等は飛ぶことになったのです。 さて、今は人外の姿をしたアテナの聖闘士たちが聖域を飛び立って4日目の午後。 彼等は とある国の広い草原に休憩のために着陸しました。 すぐ近くに林があって、清らかな川も流れています。 星矢たちは瞬を花の咲いている野原に残し、付近に食べ物を探しに行くことにしました。 アテナはなにしろ、 「お金があれば、大抵のことはどうにかなるでしょ」 と言って、彼等にお小遣いはくれたのですけれど、食べ物は持たせてくれなかったのです。 でも、考えてみてください。 お店がたくさん並んでいるような町の真ん中に、ペガサスや龍が突然飛来したらどうなるか。 不死鳥や白鳥がお金を持って 駄菓子屋さんに入り、 「うまい棒コーンポタージュ味と よっちゃんのスルメイカくださーい」 と言ったら、どんなことになるか。 普通の人間なら、慌てて人外のものたちの前から逃げてしまいますよ。 町はパニックに陥り、駄菓子屋のおばさんは泡を吹いて卒倒してしまうかもしれません。 当然の帰結として、ペガサスや龍や不死鳥や白鳥は食料を手に入れることはできないでしょう。 非常識な風体をした彼等は、ですから、アテナからもらったお小遣いの利用は諦めて、山野に実る果実を集めたり、川に生息する魚を獲ったりすることで、自分たちの空腹を満たすことにしたのです。 そういうわけで、その日、彼等は綺麗な花の咲く野原に いったん瞬をおろすと、食べ物を手に入れるために 再び 各々気の向いた方角に飛び立ちました。 お姫様である瞬だけは、木に登って木の実を採ることも、川に入って魚を獲ることもできませんでしたので、見晴らしのいい野原でお留守番です。 人の大勢いる町中だったなら、瞬がにっこり微笑めば、食べ物や飲み物を喜んで差し出す男たちはいくらでもいたでしょうが、この旅の道中では、その実行は無理。 美貌やお金というものは、利用できる場所が限定されている、存外役立たずなものなのです。 それはさておき。 その日、瞬たちが降り立った場所は、ハーデスという名の若く美しい王様が治める国の都の近くでした。 たまたま近くの森に狩りに行こうとしていたこの国の王様が、食べ物を探しにいった氷河たちを待っている瞬を見付けたから、さあ大変。 黒い髪をして、黒い服を着て、黒い馬に乗った美貌の王様は、可憐なお姫様が、花が咲き乱れる野原にたった一人で佇んでいるのを見て、とても不思議に思ったのです。 身分の高そうなお姫様がなぜこんなところに一人でいるのか、その訳を尋ねようとして、ハーデス王は乗っていた馬を あとはお決まりの展開です。 ハーデス王は、間近で見た瞬の可愛い様子に一目惚れ。 この姫君こそ天が定めた我が妻に違いないと、天に代わって決めつけてしまいました。 そして、瞬の名どころか瞬の気持ちすら確かめずに、素早く彼の馬の背に瞬を抱えあげたのです。 「わあっ、氷河ーっっ!」 突然の出来事に驚いた瞬は氷河の名を呼んで救いを求めたのですが、その声は野原に空しく響くばかりでした。 怪力で鳴らしたアンドロメダ座の聖闘士が、今は小宇宙を燃やすこともできない非力なお姫様。 そして、相手は、この国にあるものはすべて自分の意のままになると信じている、この国の王様です。 抵抗も空しく、瞬はハーデス王によって拉致されてしまったのでした。 |