その頃、自分たちの空腹を満たし、瞬のための食料を手にして 野原に戻ってきた氷河たちは、そこに瞬の姿がないことに気付いて大慌てに慌てていました。 つい1時間前まで瞬がいた場所には、無数の馬のヒヅメの跡が残り、周囲の花はそのヒヅメに無残に踏みにじられています。 瞬の身に災いが降りかかったことは一目瞭然でした。 「瞬っ! 瞬、どこだーっ !! 」 氷河は声を限りに瞬の名を叫んだのですが、広い野原の向こうにある この国の都の王城の奥に閉じ込められている瞬の耳に、その声が届くことはありませんでした。 代わりに、その声を聞きつけたお喋りな小鳥たちがその場に飛んできて、つい先刻彼等がこの場で目撃したことを ぴーちくぱーちく語り出します。 氷河と一輝は、今は鳥たちの言葉が理解できました。 二人は、そして、鳥たちの話を聞いて真っ青になってしまったのです。 もちろん、今の彼等の顔は羽毛に覆われていましたので、本当に青くなったわけではありませんが。 「何て言ってるんだ?」 鳥の言葉がわからない星矢が、自分の頭の上にとまっているヒバリを気にしながら、氷河に尋ねます。 ちなみに、体長が10メートル以上ある紫龍の背中は、今はコミケの一般開場を待つオタクさんたちの行列さながらに、数百羽の小鳥たちの休憩所になっていました。 「この国の王が瞬をさらっていったそうだ。王宮は、明日執り行なわれる誘拐犯と瞬の結婚式の準備でおおわらわとか」 「明日? ずいぶん せっかちな王様だな。瞬に一目惚れしてさらっていったにしても、普通は、式を挙げる前に、もう少し時間をかけて、お互いを深く知り合おうとするものじゃないか?」 紫龍の意見は至極常識的なものでしたが、常識が人の耳に(この場合は鳥の耳に)快いものとは限りません。 背中に数百羽のお喋りスズメをとまらせている紫龍に、氷河は がなり声を投げつけました。 「深く知り合われてたまるかーっ !! 」 氷河が言うと、とにかく何でも卑猥です。 もっとも そのおかげで、彼の仲間たちには、氷河が最も恐れていることが何なのかということが はっきりとわかりましたけれど。 そして、龍の背にとまっていた鳥たちは、氷河の雄叫びに驚いて、どこかに飛んでいってしまいました。 鳥なのに野次馬とは、これいかに。 と言いたいところですが、ともかく、野次馬鳥たちがいなくなったところで、ペガサスと龍と不死鳥と白鳥は早速 作戦会議開始です。 「とんでもないことになったが、とにかく、瞬を奪い返せばいいだけのことなんだから、氷河は少し落ち着けよ」 「花嫁を奪いに行くのか? 王の面目を潰すことになるな」 「あっちは一般人で、罪はないわけだしな。なるべく怪我人を出さないよう、穏便に奪い返さなければなるまい」 「罪がないだとーっ! 俺の瞬をさらって、あまつさえ結婚式を挙げようとするなんざ、万死に値する傲慢だろーが!」 氷河は怒髪天を衝いて わめきたて、珍しく一輝も彼に同調して、身体中の炎を炎上させることになったのですが、世の中の王子様や王様がお姫様に一目惚れするのは 一種のお約束であり、予定調和のようなものです。 星矢と紫龍には そういう考えがあったので、彼等は瞬をさらっていった王様を強く責める気にはなれませんでした。 王様がお姫様に出会って恋をしなかったら、それこそ失礼というものではありませんか。 「何にしても、今の俺たちが人間の姿をしていないことは不幸中の幸いだったな。人間でないなら、どれだけ強大な国の王だろうと恐れる必要はないわけだし、他国との関係を悪化させて、アテナに迷惑がかかることもない。腹が立つのはわかるが、とにかく瞬を奪い返せば問題は解決するわけなんだから、おまえは冷静に行動しろよ、氷河」 人の世の権威・権力を恐れ考慮する必要があるのは人間だけ。 人間は、自分たちがこの世界の支配者だと思い込んでいますが、決してそうではありません。 地面を這い歩くアリンコや、空を自由に飛ぶ鳥たちは、相手が強国の王様だろうが何だろうが、彼に恐れを感じたりはしないのですから、人は思いあがるべきではありませんね。 ――というように教訓的なこの場面で、氷河は全く別のことを考えていました。 恋する男というものも(現在は鳥です)、地面を這い歩くアリンコ同様、人の世の律法やしがらみとは全く無関係な世界の住人であるようでした。 それはともかく、その時氷河が考えていたこと。 それは、 「俺は、瞬が男でいる時にも いつも心配だった。特殊な嗜好の持ち主の男に、瞬がいつ目をつけられるんじゃないかと、いつもそのことを気にかけていた。だが、瞬が少女になってしまったら、特殊な趣味の持ち主だけでなく世界中の男が俺の敵になる。くそっ。男なんて下劣な生き物はみんなこの地上から消え去ってしまえばいいんだっ!」 随分 乱暴な言い草でしたが、恋する男というものは(現在は鳥です)、世界でいちばん大きな国の王様よりも傲慢な生き物なのです。 なにしろ、彼が恋をしている相手以外に、彼が跪く必要のある人間は この世に存在しないわけですからね。 要するに氷河は、瞬が少年だということは、これまで氷河の恋の強力な防御壁になっていたのに、瞬が女の子になってしまったら、その壁が失われてしまう――ということを心配していたのでした。 それでなくても独占欲の強い男が(現在は鳥です)、世界中の男を敵だと認識するようになってしまったら、彼の心が休まる時は永遠に失われてしまう――と考えていいでしょう。 それこそ、のんびりと恋をしている暇もないくらいに。 そんな未来を想像して、氷河は身体をぶるっと震わせることになったのでした。 |